研究活動紹介
或る五劫思惟阿弥陀如来像のカタチ
名前 | 熊谷 貴史(佛教大学宗教文化ミュージアム) |
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科研費種別 | 基盤研究 (C) 分担者 |
研究課題 | 視覚資料の空間表現に関わる歴史地理学と東洋美術史の学際的研究 |
研究期間 | 2019 ~ 2021 |
研究目的
仏像のカタチには、思想的な意味が投影されるとともに、制作者の感性や技量が反映する。そしてその両面は、ときに複雑な相関性を示す。本研究では、仏師僧の前田昌宏氏による五劫思惟阿弥陀如来像の制作を通じ、この像が具える特異な形状を、彫刻技術や造形感覚をふまえて検証してみたい。
研究内容
1. 像容と制作方針
阿弥陀仏が法蔵菩薩であったとき、衆生を救うために長い時間(五劫)思惟したという──この思想を背景とする五劫思惟阿弥陀如来像は、髪が長く伸びた状態を表し、長い時間の経過を表象する。かかる遺例が幾つか知られるものの、相対的に特異な像容といえ、前田氏も初めての制作になるという。そこで参考資料として、かねて調査を実施した京都・地蔵院(椿寺)のご本尊[図1]の情報を共有した。地蔵院像は、像高106cm、木造、江戸時代、合掌する形式の五劫思惟阿弥陀如来像である。また「お多福阿弥陀」と称されるように、ふくよかな尊顔が印象的。今回は、いわゆる複製(レプリカ)を意図する製作ではないが、像容は地蔵院像を参照する。また用材に応じて寸法や構造などは任意に設定、前田氏の経験/彫刻技術に依拠した制作になる。
2. 特異な形状と彫技
大まかな図像(形式)を確認のうえ制作に着手、細部の形状については随時打合せながら進行した。また制作状況は可能な限り撮影し、合せて彫刻技術にかかる取材・検証を行った。以下、それらにもとづく知見である。
- 耳が螺髪の凹部に位置する[図2-①]。螺髪の刻出がある程度進んだ段階で耳の位置や幅が確定できるため、耳を彫る作業が後回しになる。また凹部のため彫りにくい。五劫思惟阿弥陀如来ならではの事情である。
- 通常、耳の位置や幅が定まってから首を刻出し、首がみえてから肩のライン・曲面を仕上げる。本例は耳の形状が早い段階で確定しないため、肩の成形が後回しになる。地蔵院像の右肩(向かって左)にみえる鋸歯状の面的な造形[図2-②]は、もう少し厚みのある状態で抑揚のある衣文を彫り出していた材を、耳や首がみえた後に削り落として調整したものと推測される。この点、その特異性を前田氏に問いかけることにより、検証にいたった。仮に問いを持たなかった場合、この形状は造らなかったという。その状態になった場合には、さらに抑揚つけて衣文を彫り出しただろうとのこと。技術的な事情であり、感性的な問題でもある。
- 肘先にかかる両袖上辺数カ所のV字状衣文[図2-③]は、東大寺勧進所阿弥陀堂本尊(鎌倉時代)の自然な衣文のドレープが祖形とみられる。この点も前田氏に問い、結果的に採用したが、やはり前田氏の自律的な制作であった場合には造らない形状であるという。
- 左膝に意図的に施された凹み[図2-④]があり、これも東大寺像に祖形が見出される。また京都・大光寺像にも同種の形状が認められ、合掌形の五劫思惟阿弥陀如来像の特徴(一種の図像的要素)として写されたものとみられる。単体でみれば不整形ともいえるが、敢えてこの形状も刻出して頂いた。

研究成果
近年、高度な複製技術や複製資料の幅広い有意義な活用事例が眼にとまる。対して今回の試みは、革新的な技術展開をみせる複製資料の類ではない(複製技術でいえば「見取り」に属す)。あくまで前田氏の技術に頼った実験的な新造である。元来、木彫は基本的に彫り直しを前提とせず、緊張感のある一回性の造形に魅力が宿る。仮に同大の木材を用意し、同一人物が鑿をとっても、同じ手順・カタチを完全に再現することはできない。反面、そうした彫刻技術を通じて了解される特性を確認したことが、本研究の成果である。
研究者紹介

熊谷 貴史(佛教大学宗教文化ミュージアム)
専門分野
美術史、仏教美術史
最近の業績
- 四条の七辻:幕末に描かれた或る京の名所、佛教大学宗教文化ミュージアム研究紀要、17号、pp.1-23、2021.3
- 立体マンダラ小考:展示に基づく空間表現への視座、佛教大学宗教文化ミュージアム研究紀要、16号、pp.1-18、2020.3
- 『浄家寺鑑』覚書:浄土宗寺院伝来の仏像調査に向けて、佛教大学宗教文化ミュージアム研究紀要、15号、pp.21-35、2019.3
- 仏の頭上より顕現する威神力:エローラ第4窟本尊の特異な光背意匠をめぐって、平山郁夫シルクロード美術館紀要、3号、pp.19-34、2018.3
- 相好と光明に関する二、三の問題、佛教大学総合研究所紀要、23号、pp.15-30、2016.3
その他業績

特別展図録
佛教大学宗教文化ミュージアム令和3年度特別展「ほとけのヘアスタイル―それは単なるオシャレではない―」