研究活動紹介
仏教史研究に抹殺された僧侶
名前 | 齊藤 隆信(仏教学部 仏教学科) |
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科研費種別 | 基盤研究C |
研究課題 | 隋洛陽上林園翻経館沙門釈彦踪の研究 |
研究期間 | 2015-2018 |
研究目的
隋の治世(581-618)はわずか40年にも満たなかったので、続く長期政権の唐(618-907)の幕開け程度の認識でしかなく、中国仏教研究において長らく軽視されてきました。しかし、当時の文献を丹念に調査すると、従来の研究において黙殺されていた重要な僧侶が多く活躍していたことがわかってきました。
そこで本研究は、隋の仏教界で目覚ましい活躍をし、皇帝や政界・文学界と太いパイプを持ち、国家仏教の諸事業に参画し、しかも教団仏教に属さなかった彦踪(げんそう)(557-610、54歳没)という孤高の僧侶に注目し、その功績を正 しく顕彰することを目的とします。
研究内容
彦宗は、趙郡(現在の河北省刑台市隆堯県)の李氏一族という名家の出身 でした。幼少期から英才教育を受け、古代インドのサンスクリット語を学び、わずか10歳で出家し、まもなく経典や論疏を大人の僧侶たちに講義するほどの神童ぶりでした。その噂は皇帝の耳にも伝わり、北周の武帝、隋の文帝、場帝、 漢王楊諒をはじめ、王劭、盧思道、魏収、陽休之、辛徳源、宇文愷、陸彦師、蘇威、楊素、諸葛潁、高元海などの高級官僚や文化人とも広く交流しました。
さらに国家が支援する文化人のサロンであった文林館に出入りし、皇帝の勅命によって道教経典の編集センターである通道観で百科事典を執筆したり、仏教経典の翻訳センターである長安の大興善寺や洛陽の翻経館において数多くのインド仏教経典を中国語に翻訳しました。そして彦宗が生涯に書いた著作は、単著25部、共著5部、サンスクリット語訳2部、中国語訳23部にもなりました。
本研究では、以上の彦宗の伝記や交友関係を調査し、さらに現存している『弁正論』『福田論』『通極論』『合部金光明経序』などを詳細に分析することで、どこの教団にも所属することなく単独で活動した彦踪による、わずか40年で終焉した隋代仏教における役割や意義を明らかにします。

彦琮が修行した宣務山

彦琮の伝記の冒頭
研究結果
唐代以後の宗派仏教の幕開け程度の評価しかない隋代仏教ですが、よく調べて見ますと、宗派単位の教団仏教ばかりではなく、単独行動をしていた僧侶も少なくなかったようです。その一人が彦宗でした。彦宗の交友関係の広さ、国立寺院での活動、国家による仏教事業の推進などを調べると、国家 体制の中の仏教に尽力した、ある意味「官僚」的、あるいは「非僧非俗」的な一人の僧侶であったことがわかりました。
隋代の仏教は、学派単位や宗派単位で盛んに活動する教団仏教とも言われてきました。それほど多くの僧侶が、何らかの教団に所属して活動していたという事です。ところが、今回の研究によって、これまでの固定化した先入観をもって見つめることがとても危険であることがわかりました。つまり、どこかの教団に所属していた僧侶だけが仏教を牽引していたのではなく、教団 の外に身を置き、単独で行動していた僧侶たちのはたらきによって、隋代の仏教が大きく発展を遂げていたことが判明したのです。
本研究は、当時は第一線で目覚ましい活躍をしいた超有名人でありながら、教団仏教に所属しなかったばかりに、その後の教団仏教中心の中国仏教研究から名前すらも抹殺されてしまった彦宗の活動とその役割や意義を、1,400年ぶりに顕彰することができました。
研究者紹介

齊藤 隆信(仏教学部 仏教学科)
専門分野
中国仏教・浄土教思想・円頓戒
科学研究費採択
日本学術振興会研究成果公開促進費(2014年)/日本学術振興会科学研究費補助金(基盤研究(A))研究分担者(2005年~2007年)/浄土宗教学院助成研究(2003年~2005年)
最近の業績
- 釈彦宗の出自と著作(『印度学仏教学研究』64-1、pp.17-25、2015年)
- 無名の彦宗は有名だった中国仏教研究の死角一(『仏教史学研究』58-2、pp.59-70、2016年)
- 漢訳者としての彦宗(『印度学仏教学研究』65-1、pp.60-67、2016年)
- 二種の彦踪作『合部金光明経序』(『印度学仏教学研究』66-1、pp.156-162、 2017年)
その他業績

刊行物
『円頓戒講説(改訂増補)』
佛教大学齊藤隆信研究室
2017年8月

刊行物
『中国浄土教儀礼の研究』
法蔵館
2015年11月

刊行物
『漢語仏典における偈の研究』
法蔵館
2013年2月