研究活動紹介
近現代における西陣織と旧職人長屋の現状
学部 | 北野・西陣地域連携 |
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名前 | 野瀬芳也(代表)、安裕太郎、土師唯我 |
研究課題 | 北野・西陣地域を中心とした京都の歴史と文化の再発見 |
研究内容
文学研究科日本史学専攻 野瀬芳也
ポスター報告の目的
平成26年春、北野界わい創生会の方から京都市北西部に位置する北野・西陣地域の歴史・文化を再発見するための調査への協力依頼をいただいた。これをきっかけに歴史学を専攻する大学院生と学部生で研究会を立ち上げ、調査を行ってきた。
昨年度後期には、西陣織で著名な西陣地域の調査を行った。そこでは、応仁の乱や第2次世界大戦時の戦死者の家の標識、旧西陣小学校、岩神神社の伝説などをテーマとした多彩な報告があった。その中で、今回は西陣織に関する調査結果をまとめ報告する。
西陣織同業組合と西陣織物館の活動
文学研究科歴史学専攻 安 裕太郎
(1) はじめに
京都西北部の西陣地域は、京都における伝統産業の一つである西陣織の生産地として有名であり、西陣織は現代まで高級織物としての地位を維持してきた。長い歴史の中で衰退と発展を経験し、 明治維新という政局の転換点を経た西陣織は、近代においてどのように普及していったのか。西陣織物同業組合とその施設であった西陣織物館の活動 から明らかにする。

京都市考古資料館(旧西陣織物館)
(2) 西陣織・西陣地域の歴史
西陣織の発端は、古代に秦氏がこの地に流入したことがきっかけとされている。平安京造営後、織部司が置かれ、織物業が定着した。室町時代には応仁の乱の戦禍を逃れていた織物業者が西軍本陣跡周辺に移住し、織物業を再開した。これが西陣織の由来とされている。
江戸時代に入り、幕府の保護を受け、西陣織は当時の一大織物生産地として発展した。その頃、生産形態は分業化され、労働形態は問屋制家内工業から工場制手工業に移行した。しかし、幕末の動乱と東京遷都により、織物業者も打撃を受けた。近代に入り、西陣織の立て直しが図られ、取引体制の一元化、府知事による庇護・指導が行われた。
(3) 西陣織同業組合と西陣織物館における活動
1898(明治31)年に成立した西陣織同業組合は、営業上の弊害の是正、西陣織産業の発達を目的とした組合である。現在の西陣地域を中心とした京都市の織物業者が組合に所属していた。
1915(大正4)年に開館した西陣織物館は、西陣織同業組合の事務所兼品物陳列館として利用された。建物は現在の京都市考古資料館として使用されている。
主な活動は以下の通りである。
①競技会:
1918年「組合創立二十周年記念西陣織物競技会」以降、各年で実施され、組合員の織物技術の促進・進捗を図る場として機能
②展覧会:
1923年から1928年まで、数年の空白期間はあるも、皇室関係の祝賀記念事業としてほぼ毎年実施
③特売会:
1932(昭和7)年「買継制度実施記念片側糯子宣伝特売会」が宣伝事業として実施され西陣織の販売の促進を意図
(4) おわりに
西陣織物館では、西陣織の普及・発展のために、競技会、展覧会、特売会が行われた。 これらの活動は、単に組合員や同業者の技術の向上に留まらず、百貨店や問屋、一般民衆など購買層への宣伝に繋がり、西陣織の普及へとつながっていった。
伝統的建造物の保存・利用について 一西陣三上家に着目して一
歴史学部歴史学科 土師 唯我
(1) はじめに
京都市上京区の三上家に江戸時代の職人長屋が現存する。この長屋には三上家と雇用契約を結 んでいた西陣織の職人たちが住んでいた。
こうした建造物はどのように受け継がれ、活用されているのだろうか。本報告では、行政による伝統的建造物保存の変遷と、三上家の個人による伝統的建造物の保存・活用についてみていきたい。

三上家旧職人長屋
(2) 建造物に関する文化財保護法の変遷
1960年代、高度経済成長に伴い、歴史的景観が急速に失われるようになる。この問題について、1975年の文化財保護法改正で伝統的建造物群保存地区制度が始まったが、文化財の価値を維持するための制約や重要文化財に指定するまでに時間がかかり、 伝統的建造物の保存への効果は十分ではなかった。しかし、1996(平成8)年文化財保 護法改正、文化財登録制度の導入により、建設後50年を経過したものを文化財とし、所有者の同意のもとで積極的に活用し保護をしていくことになった。
(3)三上家の概要
三上家は江戸期に御寮織物司(紋屋)を営み、西陣に唯一現存する紋屋である。御寮 織物司は、朝廷に納める織物を生産する織屋のことで、三上家は当時分業化されてい た織物生産の中で、織物の文様を担っていたとされる。
当時の西陣織産業は問屋制家内工業といわれる商人による生産支配の工業経営形態が背景にあったと考えられ、三上家も同様な経営形態であったと思われる。
また、長屋とは一般に細長い形に建てた建物の内部を幾つかの住戸に仕切り、それぞれ専用の出入口を持ったもので、その多くは貸家であった。当時の西陣織職人たちは、商人から原料や道具を前借りして製品の加工に従事していた。
現在の三上家には、長屋に職人は住んでおらず、 はちみつ専門店、建築事務所、陶芸工房といった店舗や工房を住居と兼用して生活が営まれている。

三上家旧職人長屋の現在の利用
(4)おわりに
伝統的建造物の保護法、三上家の所有する旧職人長屋の現状について明らかにしてきたが、当の旧職人長屋は文化財に登録されていない。しかし三上家は現在、その長屋を維持し、活用している。
そこで、今後は文化財保護法に代表される行政に準じた方法で保存・活用すること、 三上家のように個人的に保存・活用することのそれぞれの利点・欠点等を考えることを課題として挙げたい。
まとめ
本報告では、西陣織の近代と現代に焦点をあてた。かつて幕末の動乱による打撃を受けた西陣織は、西陣織物同業組合の活動により支えられ、現在も国内外に広く認知された京都の伝統産業として残っている。三上家旧職人長屋は、 個人の努力により近世来の旧職人長屋の景観を守られている。その中で今に生きる人々が伝統的建造物の中で生活を営んでいる。
現在の京都西陣は、私たちに西陣織にまつわる京都の歴史と文化を伝えている。古い建物や伝統産業からも、歴史を垣間見ることができるのである。
研究者紹介
北野・西陣地域連携
野瀬芳也(代表)、安裕太郎、土師唯我
専門分野
歴史学