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学校法人高知学園 高知リハビリテーション専門職大学学長 小嶋 裕さん

(社会学部社会福祉学科(通信教育課程)1991年卒業)

佛教大学がターニングポイント
理学療法士はやがて、専門職大学の初代学長に

教員と学生の二足のわらじ

 昨年4月、全国初の専門職大学である高知リハビリテーション専門職大学(高知県土佐市)の初代学長に就任した小嶋裕さん。37歳の時の佛教大学への入学が「ターニングポイントでした」と語る。
 小嶋さんは1987年佛教大学入学当時、現在の専門職大学の前身である高知リハビリテーション学院で教員を務めていた。同学院は専修学校のため、4年間学んでも学士号が得られない。大学院にも進めなかった。このため、同学院は佛教大学通信教育部と提携し、大学も卒業できる「併修制度」を導入した。
 制度スタートの年、小嶋さんを含む教員数人が学生22人とともに佛教大学に入学した。学生支援が目的だ。小嶋さんも同学院の第1期卒業生で、理学療法士のパイオニアとして教育を受けたものの学士号はなかった。「地域福祉学を学ぶ目的もありました」。教員と学生の二足のわらじを履いた。
 「私は『縁(えにし)』と言っていますが、たくさんの出会いがありました」と振り返る。たとえば「オレンジ1班」。1年生の夏、スクーリングで大学に行き、体育の授業を受けた。そこでオレンジ1班という班の班長に。「そのメンバーとは今も連絡を取り合っています。介護福祉の事業所を立ち上げた方、ソーシャルワーカー、ジェット旅客機の機長、学校の先生など多彩。皆さん頑張って、夢を果たされました」
 大学のレポート提出には苦労した。「文章を書くのが嫌いでしたが、4年間でたくさん書き、苦手意識はなくなっていきました」。教員として教え子に課すレポート課題にも影響し、「それまでは『高齢化社会について述べよ』のように漠然としていましたが、具体的に『高齢化社会がもたらす功罪を述べよ』とするよう心がけました」と話す。

縁(えにし)を大切にして

 佛教大学卒業の翌年から10年間、高知医科大学(現高知大学医学部)に研究生として所属し、2014年に国際医療福祉大学で博士号を取得。この間、高知リハビリテーション学院を離れ、聖カタリナ女子大学(現聖カタリナ大学)、徳島文理大学での教育にも携わった。「縁のお陰です。その研究者の道の出発点が佛教大学。入学していなければ、理学療法分野の仕事(研究)だけを続けていたかもしれません」。関心はリハビリ医療や理学療法から、老人福祉、地域福祉、公衆衛生、老年社会学へと広がった。
 恩師として、花田順信先生、中村永司先生、沢田健次郎先生の名を挙げる。「学問や研究に対する姿勢を学びました」
 専門職大学の開設にあたり、再び母校に呼び戻された。リハビリテーションの理念を理解してほしいと「リハビリテーション専門職は健康に関する専門職である」「リハビリテーションは人がより健やかに生きていくための支援を担う」「リハビリテーションを信じるということは、人間らしさを信じること」の三つのスローガンを掲げる。
 最後に、後輩たちへメッセージを送る。「自分の目指す道を常に意識し、縁を大切にしてほしい」。小嶋さんの生き方そのものである。

小嶋 裕(おじま ゆたか) 1949年高知県春野町(現高知市)生まれ。71年高知リハビリテーション学院卒。理学療法士として病院に勤務した後、77年から2000年まで同学院教員。その後、聖カタリナ女子大学教授、徳島文理大学教授などを歴任した。その一方で、1991年に佛教大学通信教育課程を卒業し、高知医科大学や国際医療福祉大学の研究生となり2014年に博士号を取得した。2019年から高知リハビリテーション専門職大学長。趣味のテニスで週2回ほど汗を流す。

(2020.12)

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