がんこフードサービス株式会社 代表取締役社長 小嶋 達典さん
調理人修行とサラリーマン生活
「何もない部屋ですが、どうぞ」。快活な口調と柔らかな物腰に、有名なロゴマークにイメージする、気難しい様子はまったく感じられない。ただ、関西を代表する和食の企業のトップたる眼力がある。小嶋達典さんは、今年8月にがんこフードサービス株式会社(以下、がんこ)の社長に就任したばかり。父の小嶋淳司氏(現会長)が創業して以来、今年で55年を迎えた大手外食チェーンの舵取り役を担っている。
「毎日が楽しかった」と話す大学時代、熱中したのはラグビーだ。現在でもOBとして、部活を支えている。「ラグビーは究極のチームスポーツ。一人では勝つことができません」。部活を通して学んだこの考え方は、経営者としての矜持にもなっている。「社員の存在があって、会社は成り立っています」。一人よがりにならず、また、自己満足に陥らないようにという自戒を込めてそう語る。
がんこへの入社を見据え、卒業後は京都の有名料理店へ調理人修行に出る。「毎日18時間立ちっぱなし。きつかったですが、食材にしても器にしても本物を見る目が養われました」。調理人への理解や、商品の価値基準を持てたことも大きかったと振り返る。
2年の修行期間を終え、向かったのは父の元、がんこではなく、大手電機メーカーだった。「一般のサラリーマンの方の実情を知りたかった。がんこがターゲットとするサラリーマンの消費スタイルを、自分の目で見たかったんです」。2年間のサラリーマン生活を終え、97年、ついにがんこの門を叩いた。

伝統とブランドは守りながら、新たな柱を築いていく
がんこ入社後は京都の店舗勤務に始まり、大型店の店長も経験。本社では商品企画に携わり、営業本部長も務めた。さらにはグループ会社の社長も歴任し実績を上げた。ただ、心に残っているのは、成功体験よりも悔しい経験の方だという。「新しい業態の立ち上げを任され、ターゲットを本家がんこよりも若い世代に絞り、カフェ風の韓国料理店をオープンさせました」。狙いは当たり、大阪にも2店舗を出店するまでに。しかし、最終的には全店を閉めることになった。「新業態を持続させるための仕組みが不十分でした。私を含め立ち上げメンバーが異動すると、引継ぎがうまくいかず、店のコンセプトが変わってしまった。お客様は敏感でした」。新業態を軌道に乗せ、持続させていくスキーム作りは、新体制の命題でもある。
「今後は、がんこの伝統やブランドは守りながら、食を軸に経営の新たな柱づくりを進めます」。少子高齢化、インバウンド需要といった時勢に合わせ、小型店舗やFC店舗の展開、また海外進出まで構想する。舵取りには一つの信念がある。「会社が傾くようなリスクのある冒険はしない。しかし、挑戦は積極的にしていく」。新たなマーケットの創出も含め、失敗を恐れずにチャレンジする姿勢を自分にも社員にも求める。
最後に社長としてのモットーを尋ねると「実るほど頭を垂れる稲穂かな」と即答。「お客様はもちろん、社員や取引業者の皆さん、すべての人に活かされているという気持ちで、トップの役割を果たしていきたいと思っています」。
小嶋 達典(こじま たつのり) | 1968年大阪市生まれ。93年佛教大学社会学部応用社会学科を卒業後、京都の料理店で調理人として勤務。95年、三洋電機株式会社入社。97年がんこフードサービス株式会社入社。2007年5月常務取締役企画本部長などを経て、13年取締役副社長、営業本部長兼社長補佐兼第二事業部長。18年8月に代表取締役社長に就任。趣味はゴルフ・釣りなど多彩。 |
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