サンコーインダストリー株式会社 代表取締役社長 奥山 淑英さん
遊び心溢れるオフィス空間
大阪市を代表するオフィス街の本町駅に、サンコーインダストリーの本社はある。オフィス街には珍しく、縦ではなく横に広い社屋には遊び心が満載だ。Tシャツやポロシャツなどカジュアルな服装の若い社員で活気に溢れるフロアは、ちょっとしたカフェスペースや休憩所があり、企業ロゴに使われるペンギンが顔をのぞかせている。ねじを中心としたファスニング製品を扱う企業に対する世間一般のイメージとはかけ離れている。代表取締役の奥山淑英さんは「基本的にスーツは外出時ぐらいです。女性社員の制服は、女性のチームにより、定期的にモデルチェンジしています。業界的にどうしても堅いイメージがありますので、明るい雰囲気づくりを意識しています。ペンギンは、社員が出張先や旅先で見つけたら買ってきますので、世の中のペンギングッズがかなりあります。」
会社は、神戸の大手製鋼会社勤務歴のあった祖父が「三興鋲螺(びょうら)」として大阪市北区末広町に木ねじ専門問屋として設立した。今年で70周年を迎え、今では従業員数650人、1日のねじ売上本数約3800万本を誇る。96年に誰もが読みやすいように現社名に変更。「SANKO」ではなく、太陽とコーポ―レートを組み合わせた「SUNCO」の英語表記に。ねじに代表されるファスニング製品を取り扱い、「お客様の役に立ちたい」をモットーに、自動車、精密機械、OA、家電、建築など様々な業界を支えている。ねじの起源には諸説あるが、1500年頃にはイタリアの芸術家レオナルド・ダ・ヴィンチによってねじ部品が用いられた様々な装置が製作されている。「この千年で最高の発明」とも称されるねじについて、「締めるべき時は締り、緩めるべき時は緩まなければならない。例えば、ペットボトルの蓋がそうであるように。」


東日本大震災を機に「人に優しい会社」を強く意識
デザインも手掛ける奥山さんの〝遊び心〟は佛教大学時代からか。音楽サークル「Music Freedom Crea」でボーカルとギターを担当し、卒業後はサークル活動時に縁のあったライブハウスで働いた。音響などの舞台演出を含め、運営のほぼ全てを任され「全て自分一人で大変でしたが、好きなように出来たことは楽しかったですね」。その後、同社に就職し「人に優しい会社とは、遊んでいるように仕事をし、当然のように成果をあげる」とのポリシーを掲げている。転機は東京支店時代の2011年3月11日-。それまでは、あるスポーツ選手の名言「100%の力を1%でも上回ることで、その人の100%が大きくなる」に感銘し、周囲にもハイスペックを期待することもあったが、東日本大震災後の極限状態による社員の疲弊を目の当たりにし、その日を境に、「自分について来てくれる人を、いかにサポートするか」を強く意識するようになった。
サムライに扮するミュージシャン内田裕也氏を起用したCMでは、「ないねじは、ない。」のキャッチコピーとともに話題になった。「今まで好きなことをやらせてもらえました。受けた恩は、直接その人には返せないかも知れませんが、次代を担う周囲へ返していきたいです」。功績を評価され受賞歴も多く、また、ユニークな成長企業として、様々なメディアで紹介される理由が、垣間見えた。
奥山 淑英(おくやま よしひで) | 1974年大阪府東大阪市生まれ。00年佛教大学社会学部社会学科卒業後、ライブハウス勤務を経て03年にサンコーインダストリー株式会社入社。12年、代表取締役社長に就任し、物流とIT化の総合的戦略の推進を加速。ねじ関連の専門商社として約90万アイテムを取り扱い、顧客の多様なニーズに応えている。趣味はデザイン、軽音楽。 |
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