2冊の本との出会いから日本史研究の道へ
学部 | 通信教育課程 大学院 |
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学科 | 文学研究科 歴史学専攻修士課程 |
学年 | 2年生 |
氏名 | 宮崎 航平さん |
岩瀬の日記から、開国への歴史的舞台を特定
「まさか顕彰碑が建つことになるとは」。日米修好通商条約締結の中心的役割を担った徳川家の直臣・岩瀬忠震(1818~1861)の功績を研究する宮崎航平さんは2018年夏、『岩瀬鴎所日記』(早稲田大学所蔵)に岩瀬が京都市中京区の瑞泉寺を宿とし、越前松平家の家臣・橋本左内と会談したという記述を発見した。これは同寺にも言い伝えられていなかった史実であり、今年4月、寺門前に歴史愛好家有志による「岩瀬・左内顕彰碑」と説明板が建立された。
岩瀬の日記は嘉永年間から安政6年まで存在するとされ、いつ誰が来た、誰に書簡を送った、割烹料理を食べた...など、日常の出来事が記されている。青山忠正教授らに指導を仰ぎながら日記を読み進めていたところ、別件で橋本左内の報告書に岩瀬との会談に関する記述があることを知った。安政5年、江戸では将軍継嗣の決定をめぐる対立が深まり、左内は3月24日に一橋慶喜擁立の志を同じくする岩瀬を訪問したとされる。
日記の日付を追ってみると、岩瀬は2月に日米修好通商条約の調印に先立ち、朝廷に許可を得るため、老中首座の掘田正睦に随行して京入りしている。結局、勅許は得られなかったが、帰路に就く前日の24日に左内が瑞泉寺に来たという記述があった。「史実を確認できたこと、建物自体が貴重な資料となることがうれしかった。二人の会談が幕末政治史においてかなり重要な内容を含んでいたことも見えてきました」。往時のまま残る会談場所となった瑞泉寺の座敷で宮崎さんは熱く語る。
外交論で知られる岩瀬の政治動向を追う
研究を始めたきっかけは、龍谷大学在学中に出会った2冊の本だという。『日本近世の歴史6 明治維新』(青山忠正著・吉川弘文館)と『攘夷の幕末史』(町田明広著・講談社学術文庫)だ。「岩瀬が先頭を切って日米交渉を進めていたことなど、知らない事ばかり。数十年先の世界を見据え、日本の将来のためにどうするべきか、自由貿易や公使館開設について論じる岩瀬は、幕末にふと現れた近代人のよう。この時代にこんな人がいたなんて!と衝撃を受けました」。当時は東洋史専攻だったが、既に交流のあった歴史学者の町田明広氏(佛教大学大学院文学研究科日本史学専攻博士後期課程修了)から佛教大学の青山忠正ゼミで研究を深めることを助言され、大学院進学を決意した。
日本史研究の面白さは一次史料にあると宮崎さんは言う。「幕末史は分秒単位で事が進むため、史料も分秒単位。切迫感が伝わり、心が躍ります。史料は様々な所に散逸していて、宝探しのようにそれらを見つけるのも醍醐味ですね」。
修士論文では岩瀬の政治動向を追う予定。「史料を見ると、当初、安政の大獄で井伊直弼が睨(にら)んでいた人物は吉田松陰のほかにいます。時代を動かしたキーマンは岩瀬忠震、水野忠徳ら有志の幕臣や橋本左内、中根靫負ら越前藩士であり、主なターゲットは恐らく岩瀬と左内。二人の会談の意味や、岩瀬の目指した時代像がどのように受け継がれていったのかを探っていきたい」と意欲を見せる。
宮崎さん(右)と中川龍学住職(仏教学科1990年卒)=京都市中京区・瑞泉寺
(2019.12『B-ism No.19』)