Vリーグ2部・サフィルヴァ北海道監督 上杉 徹さん
佛教大学での縁に感謝し、
大好きなバレーボールに携わり続ける
バレー指導者として異色の経歴と大学での経験が自信に
今年7月、バレーボールのVリーグ2部、サフィルヴァ北海道の監督に就任した。今季からVリーグ2部参入する新興チームの指揮官として上杉徹さんは「ジャイアント・キリング(番狂わせ)を起こしたい」と堂々と言い切る。バレー指導者として異色の経歴と若き日の大学での経験が自信の背景にある。
バレーを続けたいという理由から佛教大学へ入学。当時、男子バレー部は関西学生リーグで2部だった。仲間たちと「チームが勝つために」と日夜策を練った。試合前には徹夜で対戦相手のビデオを見て分析。関連する書籍を読み、試合にピークを合わせる食事管理、栄養学も取り入れた。1部昇格こそ果たせなかったが強い者に立ち向かう面白さを知った。「学業では決して優秀な学生とは言えませんが、バレーに関してはとにかく真剣でした」と振り返る。
29歳の挑戦が転機
卒業後は、Vリーグ2部チームでのプレーを経て、一度は指導者の道を考えた。佛教大学通信教育課程で教員免許を取得後、中学校の教師を務めていたが、29歳の時に「本気でバレーをできるのは今しかない」と一念発起。佛教大学男子バレー部監督(当時)の鹿谷明生さんに「海外でプレーしたい」と相談すると、恩師はすぐに当時ノルウェーでコーチをしていた印東玄弥さん(現・トヨタ車体クインシーズ監督)のブログに「教え子が海外でプレーしたいと言っています」と書き込んでくれた。「この書き込みが私の転機になりました」
突然の申し出を印東さんは快く受け入れてくれた。おかげで1年間、デンマークのチームでプレーし、人としての幅が広がった。「言葉が通じなくてもバレーは通じるんです。苦労もしましたが、得るものの方が大きかった」と話す。帰国後の2011年春から佛教大学男子バレー部監督に就任。「世界で主流のことを関西2部でやれば勝てる」と選手に言い聞かせ、チームを改革した。その結果、自身の学生時代に果たせなかった1部昇格を遂げることができた。
14年6月からは、Vリーグ1 部の名門・堺ブレイザーズのコーチ兼アナリストに。憧れだったトップチームの指導者という夢を実現することができた。コーチを続けるうちに「もっと自分が思うようにチームを作りたい」と思い始めた矢先、サフィルヴァ北海道から監督のオファーが舞い込み、二つ返事で新天地に移った。選手を飽きさせない練習メニューを考えるなど上杉流のチーム作りを進め、番狂わせへ向けた基礎固めを行っている。
夢を持ち続け、人とのつながりを大切に
上杉さんは「趣味もバレー。休みの日も常にバレーのことを考えています。でも、子どもと遊ぶ時間だけは頭からバレーのことは消えていますね」と笑う。大好きなバレーに携わり続けたいと模索し、行動し続けた結果、Vリーグの監督になっていた。「夢を持っていれば、人生は思い描いたとおりになる」と後輩たちへメッセージを送る。その理由を「佛教大学で鹿谷さんと出会い、印東さんと知り合えたことで今の私があります。自分の夢や想いを誰かに伝えたり、自ら行動することが新たな出会いにつながりますから」。出会った人との「縁」に感謝し、今日もコートに立つ。
| 上杉 徹(うえすぎ とおる) | 1980年大阪市生まれ。大阪・上宮高校を経て入学した佛教大学社会学部社会学科を2003年に卒業。男子バレーボール部の主将を務めた。2年間プレーしたVリーグ2部のTOYO TIRES(トーヨータイヤ)が廃部となり、2005年から佛教大学通信教育課程で中学の社会と高校の地理歴史の教員免許を取得。2007年から大阪府吹田市の中学校講師、同時に奈良のクラブチームに所属。2009年秋から1シーズン、デンマークのトップチームでプレーし、帰国後の2011年春から3年余、佛教大学男子バレー部の監督を務めた。2014年6月から6シーズン、Vリーグ1部の堺ブレイザーズのコーチ兼アナリスト。2020年7月、Vリーグ2部のサフィルヴァ北海道の監督に就任。 |
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(2020.12)









