別科の設置について

佛教大学長 田中 典彦

佛教大学長 田中 典彦

行と学の双修で素晴らしき僧侶を

佛教大学の別科(仏教専修)は、浄土宗の宗侶養成機関として設立されてから40年にわたる歴史を積み重ねてきました。その間、数多くの優れた人材を輩出し、宗門後継者の養成機関として揺るぎない地位を築くに至っております。それは別科の基本理念としての「行学双修」を着実に実行してきたからであり、これは今後も変わることはありません。

別科では、全寮制による二年間の道場生活を送りながら、僧侶として備えるべき様々なことがらを、「行(実践)」を通じて身につけ、あわせて広く仏教や法然浄土教とについて「学(知識)」として修めていきます。したがって、朝起きてから夜寝るまでの道場生活が、すべて宗侶養成のための重要な課程であると自覚して取り組んでいただかなければなりません。道場では「清規(道場の規則)」の遵守が求められ、僧侶としての生活をすることになります。その中で、正しく清らかな僧としての生活習慣を身につけるとともに同じく修行に励む他の道場生との連帯感や共に生きる心も培われていくと信じています。まさに仏道の根本である三学(戒・定・慧)を修めることに通ずるものであります。

日本を含めて世界を眺めてみると、人間が人として生きる道を見失ってしまったかのような様相を目にし、耳にすることが多々あります。今こそ人間の真の生きるべき道を説かれたブッダの教えを体得し、すべての人々の幸せな往生を勧められた法然上人の教えをいただきつつ、世界の人々が幸せに生きてゆける道を示す指導者が切望されているであろう。

その指導者こそがかつてそうであったように僧侶でなくてはならないでしょう。

和合衆といわれるように、道場生が和を以て心を一つにして、相互に助け合いながら、浄土宗が目指している二十一世紀劈頭宣言「(己に)愚者の自覚を、家庭にみ仏の光を、社会に慈しみを、世界に共生を」が実践できる僧侶を養成することを目指しています。

心ある皆様の本学の別科(仏教専修)へのご入学をお勧めいたします。

合 掌

宗門後継者養成道場長 稲岡 誓純

道場長 稲岡 誓純

別科(仏教専修)は浄土宗の僧侶の養成を根幹として、昭和52年度に大本山清浄華院に宗門後継者養成修練道場(浄山道場)として開設されました。今年で41期生を迎え、修了生は500人を超えております。

浄山道場の玄関を入った正面に「佛教大学道場清規」が掲げられています。この「道場清規」を遵守しつつ、2回生と1回生共に道場生活を2年間、行(実践)と学(理論)を双修するお坊さんをめざしています。

毎日の勤行と清掃などの作務を初めとして、ゴータマ・ブッダの生涯とその思想をはじめ、お念仏の元祖である法然上人の伝記とその思想、インド・中国・日本の仏教史、浄土三部経などの講義、法式などの実践仏教の講義、はたまた茶道・華道・書道などの僧侶として必要な科目などの講義などが開講されています。中でも毎土曜日には総本山知恩院や大本山清浄華院において法務実習がおこなわれ、御忌大会や秋季彼岸会には集中的に法務実習がおこなわれています。

特に新入生にとっては、今までの生活とはまったく違い、戸惑うことが多々あると思います。そのような時には、先輩の2回生を手本として、また逆に2回生は新入生の良き手本となり、「和合の心」、同じこころざしをもつ者たちが仲良くするという「和」の心を養っています。

昔より、お正月や寺院の法要には必ず「お鏡(鏡餅)」をお供えしますが、今一度、餅米がお鏡になる過程を考えていただきたい。……餅米は、まず冷たい冷たい水に二・三日は浸けられます。次には熱湯の上で蒸籠に入れられ蒸されます。その次は、四股撞きをされ、最後にペッタンペッタンと頭を叩かれます。そうすると餅米同志が粘りを出し、餅と成り、丸められて立派な「お鏡(鏡餅)」となるわけです。これは我々が一人前になる過程において、さまざまな苦労を重ねてもそれに耐え忍び、精進・努力しなければならないことを教えたものです。よって一人前になる見本であるから、姿や形は写しませんが「お鏡(鏡餅)」といわれるのです。

みなさん!この「お鏡(鏡餅)のこころ」を肝に命じて、本来の僧侶の姿である「行学双修のお坊さん」を目指していただきたいものです。

合掌

別科主任 市川 定敬

別科主任 市川 定敬

2年間の道場生活というと、自分には堪えられるだろうか、と心配になる方も多いかと思います。でも大丈夫!みんなできるから、とは言いませんが、これまでにたくさんの先輩たちが同じように不安を抱きながらこの門をくぐり、卒業していったということに思いを巡らせてください。

この別科の目的の一つに、伝宗伝戒道場、いわゆる加行への入行があります。伝宗とは浄土宗の宗祖、法然上人の教えを伝えられることを意味し、伝戒とは法然上人が受けられた戒を受けることを意味します。例えば、江戸時代の規則を見てみますと、この伝宗伝戒が許されるためには、15年間の修学が必要でした。現在、浄土宗の教師になるためには幾つかのコースがありますが、掃除・勤行・学問からなる道場生活ということからすれば、この別科の2年間というのは、最も長く集中したものとなります。もちろん、15年には及びませんが、この別科での2年間の道場生活には特別な意味があるといえるでしょう。

テレビなどのメディアでお坊さんが注目される一方、「寺離れ」「寺院消滅」といった言葉が飛び交う時代になりました。お寺と僧侶のこれからの在り方について、どの方向に進むべきなのかを決断しなければならない時に私たちはいると言えるのかもしれません。この決断を下し、そして実行していく上で、単なる知識のみではなく、伝統に則った実践ということは間違いなく大きな力になるはずです。

移ろいゆく時代の中で自らの進むべき道を照す確かな灯(ともしび)を見いだせるように、ともに精進していきましょう。