キジル千仏洞修復保存

修復後のキジル千仏洞と阿弥陀経・法華経などを 訳出した鳩摩羅什三蔵の像

敦煌・龍門・雲崗と並ぶ中国四大石窟のひとつ、キジル千仏洞は3世紀から10世紀頃に造営されたと考えられている。約3kmの範囲に約300の石窟と約10000m²の壁画が残存するが、永年にわたる自然劣化と異教徒や外国探検隊から受けた破壊によって荒廃が進んでいた。心をいためた小島康誉(現佛教大学内ニヤ遺跡学術研究機構代表)が修復保存に協力したことが、日中双方が長年にわたって新疆の世界的文化財保護研究事業を推進していくきっかけとなった。この一帯には、キジルのほかにもクムトラ・シムセム・タイタイルなど多くの石窟寺院が残り、本格的研究が待たれている。

キジル千仏洞修復保存活動の経過

五絃琵琶の描かれた壁画

1986年
小島が初参観。日が暮れて道に迷う旅人に自らの手を燃やす釈尊。飢えた虎の親子に身を差し出す釈尊。日は昇り、そして沈む中、風雪、異宗教、盗掘にたえ、千数百年。今なお色鮮やかに残る当時の人々の願い。そこで見たラピスラズリで描かれた釈尊の前世の物語に圧倒される。感動し個人的寄付を開始。
1987年
「日中友好キジル千仏洞修復保存協力会」を設立。日本であまり知られていない石窟のため、募金集めに苦労する。
1988・89年
3000を超える個人や企業の協力を得て、1億円余を新疆ウイグル自治区文化庁に寄贈。この寄付と中国政府や関係者の努力があいまって、キジル千仏洞は見事によみがえり、現在では多くの日本人を含む外国人が多く訪れている。日本からの寄付で修復が行われた旨の記念碑も建てられ、浄財を寄せた方々の芳名が刻まれている。後日、阿弥陀経や法華経を訳出した鳩摩羅什三蔵の像も建立された。
1990年以降
修復保存資金贈呈以降も参観団を度々案内し、世界的文化遺産保護の重要性を訴求。2010年同所で開催された「亀茲研究院成立25周年記念大会」で、20余年前の修復保存工事を映像で紹介し、内外多数の参加者に感動を与えた。職員通勤用バスも寄贈。
2014年
カタール・ドーハで開催された第38回世界遺産委員会において「世界文化遺産」に登録された。
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