Interviews還愚 × ○○

還愚×佐藤 和順

幼児教育学者

慢心せず自問自答を繰り返すことが、進み続ける力になる。
至らなさを知ることを、他者への理解に繋げて前へ、前へ。

幼稚園の園長として現場に立つ一方で、幼児教育学者としては子育てにおける課題解決や保育の質向上につながる各種施策をフィールドワークを通じて検証。数多くの論文や書籍をあらわし、全国の幼稚園・保育園を巡っての講演活動にも意欲的な佐藤先生。現状に満足せず、今なお教育者・研究者として第一線に立ち続けるのはなぜなのか。学者としての心のあり方から、若かりし頃の慢心体験まで、赤裸々にお話いただきました。

  • 佐藤 和順佛教大学教育学部 幼児教育学科 学科長
  • 兵庫大学短期大学部助教授、就実大学教育学部教授・就実教育実践研究センター長、岡山県立大学保健福祉学部教授・地域連携推進センター長を経て、2019年4月より佛教大学教育学部教授、岡山県立大学名誉教授、2020年4月より佛教大学附属幼稚園園長。2022年4月より、新設された教育学部幼児教育学科の学科長に就任。
家族のSOSを見落としていた反省から、
幼児教育学者として向き合うべき課題を見出した。

出身は広島県。生粋のカープファンです。実家は浄土宗のお寺で、子どもの頃から毎朝父とともに読経をするのが習慣でした。また実家は幼稚園も運営していましたので、幼児教育が身近な環境で育ちました。

しかし大学で専攻したのは、畑違いの西洋哲学です。父が佛教大学出身なので同じ道を進んでもよかったのですが、母方に卒業生が多かった京都のキリスト教系大学に進学。19世紀のアメリカで活躍した哲学者ジョン・デューイに焦点を当て、キリスト教の世俗化について研究をしました。ちょうど研究していた時期に僧侶になるための修行もしていたこともあって、外国籍の牧師の方が教員だったりする大学の環境でキリスト教の考え方を学ぶことが、とても面白く感じました。

研究対象であったデューイは、哲学者としてだけでなく、教育学者としても活躍した人物です。このことが、私の人生に大きな影響を与えました。日本の幼児教育にも大きく貢献したデューイのように、私も哲学だけでなく、実家に関わりのある幼児教育の現場で役立つことにも目を向けるべきではないかと考えるようになったのです。そこで卒業後、東京の大学院に進学し、幼児教育の研究者としての道を歩み始めました。

東京での生活は順風満帆でした。妻と結婚して子どもを授かり、幸せいっぱいの私は呑気に研究者生活を謳歌していました。しかしそこには慢心が隠れていました。ある日帰宅すると、家に電気がついておらず「ただいま」と声をかけても返事がない。違和感を覚えてリビングに入ると、真っ暗な部屋の中で、生後数ヶ月の子どもを黙って見下ろしている妻がいたのです。

育児のストレスに押しつぶされそうな妻を目の前にして、私は改心しました。今思えば酷い夫ですが、当時の私は家事や育児は妻任せ。幼児教育を研究しておきながら、家庭の危機に気付かずにいたわけです。大いに反省し、できる範囲で子育てや家事を引き受けるようになりました。おかげで今ではトイレ掃除が趣味だと言えるほどです。

このときの体験は、研究者としての気づきにもなりました。机上の教育論にとらわれず、幼児教育・保育に携わる現場の方々に目を向けるようになったのです。さらに、圧倒的に女性の負担が大きい日本の子育て環境の改善につながる研究をはじめるようになりました。

ワンオペで「孤育て」する女性や幼児虐待が増えている背景には、日本の都市化・核家族化が進んだことにより、親族や地域ぐるみで子育てをする「血縁」「地縁」の機能が低下したことがあります。ならばどうすれば良いのか。私は父親の育児参加はもちろんですが、子育てという同じ目的を持つ保護者同士が、リアルまたはSNSで繋がる「目的縁」を築くことが重要だと考え、その効果を検証して論文にて提唱するようになりました。

その後もさまざまな研究に取り組んでおり、現在、力を入れているのが、保育者・教師のワーク・ライフ・バランスについての研究です。現場の先生たちの生活の質を高めることは、幼児教育・保育の質を高めることにつながります。この考えや研究成果を、幼稚園、保育園、国や県の教育委員会などに伝え、先生たちの職場環境の改善に努めています。

佛教大学附属幼稚園の園長を兼務。研究者であるとともに、実践者として現場にも身を置いている

自分はまだまだだと自覚し続けることが成長に繋がる。
それは「先生」をめざす学生たちにも大切なこと。

インタビューの機会をいただいたことで改めて考えてみたのですが、私にとっての「還愚」とは、研究者としての出発点ではないかと思います。

浄土宗の宗祖である法然上人は、自分の愚かさを自覚することの大切さを「還愚」という言葉で説きました。西洋の哲学者ソクラテスも「無知の知」という同様の意味を持つ言葉を残していますが、自分はなんでもできるという慢心があると、やはり道は誤ってくると思うんですね。

慢心を避けるために、私は過去に自分が書いた論文や書籍と向き合うようにしています。本当は恥ずかしくて、読み返したくなんかないのです。その時はベストだと考えていたことが、私自身の成長や、最新の科学などにより判明した知見により、「そうじゃなかった」と自らに突きつけられるわけですから。

でも過去の自分と向き合うことは自戒につながる反面、「ここで終わったらだめだ。まだまだ自分はできるぞ!」という発奮にもつながります。そもそも満足をしてしまったら研究者としては終わりです。まだまだ自分の知りたいことがあるから、頑張って論文を書いたり調査に取り組めたりするわけです。慢心せず自問自答を続ける「還愚」の姿勢は、私にとって前に進み続けるために必要な心の在り方なのです。

研究者としての私についてお話しさせていただきましたが、佛教大学幼児教育学科の学科長としての私は、学生たちにも今の自分の在り方をしっかり見つめ、自分はまだまだだと実感できる「還愚」な体験をたくさん重ねて欲しいと考えています。

先生になった時に自分が何でもできると慢心していたら、先生としての成長はありません。先生は子どもを育てていると考えがちですが、子どもによって育てられているということも忘れてはならないのです。失敗した子どもを前にしたとき、自分がまだまだ未熟な人間だとわかっていたら、「先生も失敗することがあるよ」と声をかけることができます。また、自分を見つめることができる人間は、他者のことを理解できると私は考えます。自分のことを見つめなおし、他者を理解できるための失敗は必要な経験です。学生には、失敗を恐れず、また諦めず、何度でも挑戦する前向きさを持ってほしいと願っています。「猿も木から落ちる。でも、また登ればよい」の精神です。

学生たちには、知識や理論はもちろん、幼稚園教諭・保育士としての心構えも伝えている

学生の多くは、子どもが好きで幼稚園教諭や保育士をめざしています。しかし実際の業務の中で、子どもと関わる時間は30〜40%に過ぎません。保護者対応や他の先生たちとの事務作業が業務の多くを占めるのです。学生たちには、保育の楽しさとこうしたリアルな保育の大変さを、在学中から体験してほしいと考えています。そうすれば、園児たちはもちろん「孤育て」に悩む保護者と繋がり支えるような視点や能力も養われるはずです。そのためにも幼児教育学科では、現場経験豊富な教員を多く揃え、附属幼稚園も含め幼児教育・保育の現場での実習の機会を多く用意しています。

佛教大学は、自らの愚かさを知りそこから前を向く人に寄り添う大学です。またそれは本学教育学部の伝統でもあると思います。私の役割は、その伝統を引き継ぎながらも現状に満足せず、温故知新でより良い教育を築き上げることでないかと考えています。

2022/8/01