地図と一口に言っても古今東西さまざまであったし、現代では過去のどの時代よりも多種多様な地図が存在している。それらを一つにまとめて、地図の定義を考えることは容易ではない。そのためか、「定義なんて無理だ」と言って敢えて定義することを避けようとする人もいる(いつであったか、「都市」の定義でも都市は多面体で、誰もが納得する定義を与えることは困難だと言って敢えて都市の定義を避けるということがあった)。しかし、いかに多種多様であろうとも、「地図」という語句で伝えようとする意味内容には共通する部分があるはずである。そうでなければ、「地図」という語の存在そのものが脅かされてしまう。だからと言って、直ちに結論的な定義が提示できるはずもない。そこで、ここでは先行研究の中からいくつか地図の定義を紹介し、「地図」という語の基本的な意味内容を考える手掛かりとしておこう。    
      
@ オリヴィエ・ドルフェス『地理空間』、白水社、1975 
  空間に属する諸要素をそれらがある場所に位置付けることによって空間を形象化し、図式化したもの。
A 堀  淳一『地図−「遊び」からの発想』(講談社現代新書671)、講談社、1984
地表にあるもろもろの地物及び諸現象の分布を、それぞれの目的に沿った価値観・哲学にしたがって取捨選択し、適切なデフォルメによって目的に適うようにデザインした上で、主として二次平面上に(縮小して)表現したもの。 
B A.H.ロビンソン『地図学の基礎』、地図情報センター、1984 
  地理空間を図に描いたもの。 
C 五百沢智也『最新地形図入門』、山と渓谷社、1989
  人間の思い浮かべる地理空間のイメージを具体化して図にしたもの、あるいは人間が頭に思い浮かべている空間的な位置関係のイメージを図に描いたもの。
D 西川 治「地図と世界観」、言語vol.23‐7、1994   
 
地域環境の構成要素の中から、その製作者にとって、あるいはその命令者、依頼者にとって、そして誰よりも住民にとって重要な事象を選び出して、それらの分布を各種の記号によって布や紙面などに描出したもの。
地域の実質が図面に表現された地域の表象
地域環境の縮図 
E 国際地図学会 1995年第16回IGA総会(菊地俊夫ほか編(2005)『地図を学ぶ』二宮書店、はじめに)
  地理的現実世界に関して、様式化された画像で、著作者の創造的努力により選ばれた主題について、主として空間的関係に関わる利用のために設計され、選択された形態または性質を表現したもの。 
   
@〜Eの中で最も簡潔な表現がBである。このBの表現に若干の具体性を与えたものが@で、@とBは同じ内容であると理解してよい。どちらも地図とは「大地の写像」であると言っているのである。また、Aから「それぞれの目的に沿った価値観・哲学にしたがって取捨選択し」を削除し、「地表にあるもろもろの地物及び諸現象の分布を、適切なデフォルメによって目的に適うようにデザインした上で、主として二次平面上に(縮小して)表現したもの。」と書きかえると、@と同じ意味になる。
このことは@・Bに対するAの定義の特色が、「それぞれの目的に沿った価値観・哲学にしたがって取捨選択し」という句を含んだところにあることを示してもいる。例えば「それぞれの目的に沿って取捨選択し」ならば、地図には作成目的があるということですむが、「価値観・哲学にしたがって」と記述されていることから、地図の客観性に対する懐疑、言い換えれば地図の主観性を認めようとする態度が表明されているのである。そして、Aと同じことを言っているものがEである。 
西川(D)は三通りの地図の定義を挙げている。意味の上ではB=Cで、@・Bと同じ内容である。これに対して、AはB・Cを丁寧に説明し直したものと読むこともできるが、全く同じものではない。Aで特徴的なことは「製作者、命令者、依頼者、そして住民にとって重要な事象を選び出して」と記述している点である。地図には製作者、命令者、依頼者の意図、あるいは地図作成の目的があると言っているわけである。AはAやEと同じ内容を持つと言っていいが、さらに「誰よりも住民にとって重要な事象を選び出して」と強調し記述している。実際の地図が住民(利用者)にとって重要な情報を選択し作成されているものではないという現実があることを、この表現からうかがわせている。