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チベット人は縁起かつぎ

 「いやぁこれは縁起がいい(テンデー・ヤクポヨワレ)」。或るチベット人朋友の口癖である。彼は全くの楽天家で出来事の全てをよい方に解釈する。ついでに言うと飲んべえである。虹が出れば縁起がいい。白い鳥が翔んでいれば縁起がいい。まあ要は酒さえあればよいのだが、実際にチベット人社会で生活してみるとこの種の縁起かつぎは数え切れない位存在する。縁起かつぎと占いで生活が進んで行くと言っても過言ではない。「縁起」が良いとは言うものの仏教思想でもって説明可能なものはほとんど無いのだ。

 結婚式で花嫁の襟元に白羽の矢を立てたり。葬儀式で出棺の時に時計回りに三回逆に三回廻して出発するなど、何やら日本にも有りそうな縁起かつぎは沢山発見できる。お通夜の枕かざりで、故人の使っていたお椀に食べ物を盛ったものを飾る。これなども妙に似ているが、まあ随分と様子のち がう習慣もある。死亡の後ポワ(遷魂)の儀式が済むまでは亡骸にけっして手を触れてはならない。手を触れたその部分から魂(ナムシェー=識)が彷徨い出てしまうと信じられている。その間悪霊を払うと信じられるバター油の灯明は絶やしてはならないとされる。また北方の遊牧民の中にはその期間亡骸と僧侶のみを残して別の場所に家族全員で身を移す地方もあるという。

 葬儀式と同じく数々の縁起かつぎが行なわれるのは出産育児に関する場合である。葬儀の時は「ゴトゥ」と呼ばれる喪明けの日まで着古した黒い服を着けるが、反対に妊娠中は古着をもらって着たりしてはいけない。そして生まれてくる赤ん坊の為に新品の服を縫って準備をするという。日本では「親の血を引く」と言う所をチベットでは昔から、父からは「リュパ(骨)」母からは「シャ(肉)」を継ぐと言う。そして父親の出身が良い家柄であればあるほど安産だと一般に言われる。安産の為のまじないの言葉がある。「オムシャシャ・ラムチェ、シュシュ・ラムチェ、ジュンシ・ドゥペー・ゴチェ」。これを百回程唱えるそうだ。まじないは万国共通。一度試してみてはいかが? 日本ではこんなことは聞いたことはないが、胎盤等を捨てるにも方角があるらしい。チベット暦(『言語』91年12月号の拙稿参照) の一月五月九月生まれは東の方角に、二月六月十月生まれは北、三月七月十一月は西、四月八月十二月は南に捨てなければ災いが起こると言うのである。母乳を初めて飲ます前に重要な儀式がある。赤ん坊の舌の上にサフランで「フリー」という種字(しゅうじ)を書くのである。子供がどんな風な人間になって欲しいかで文字は少々変わるようだ。暫く経つと「パンサン」と呼ばれる儀式が行なわれる。白い器に牛乳を入れて「ツァンマ・ラーイ・オトゥーソル、パンギ・ディマ・サンギュルチ」と唱えながら家族ともども母子にふりかけるのである。この儀式が済むまでは他家の者はその家を訪問してはならない。やはり「出産の汚れ」といった概念があったのだろうか。お宮参りにあたる最初の外出「ゴドゥン」では赤ん坊を母方の伯父か伯母が担いで問を出た所で、必ず右まわりに廻って一度家の方を振り向く習慣があるという。出棺の際の習慣と紛らわしくて何やらややこしい。チベットの諺に「父母の役目は子供の結婚、子供の役目は父母の出棺」というのがある。やはり縁起かつぎは冠婚葬祭で本領を発揮するようだ。

 日本では北まくらを嫌うがチベットでは赤ん坊を寝かす時は、北か東に頭を向けて寝かすという。部族によっては赤ん坊の時に耳に穴をあけてしまうと言うが、その耳の穴のあけ方が男女では異なる。男子は右の耳たぶからあけ、女子は反対に左の耳たぶから穴をあける習慣があるという。勿論トゥルク(活佛)ではないかと擬されている子供の耳に穴をあけることはない。

 奇妙な所で日本人とチベット人は似ているが、遠慮バトルもそのひとつ。上方落語の「京のぶぶ漬け」ではないが、チベット人社会でお茶を勧められたり遠慮したりは一種の避けられない儀式である。「お茶でもどうぞ(ソチャ・チュタン)」と言われてすぐに飲んでは失格で、「いえ結構です(ラーメー)」と先ず遠慮する必要がある。注ぐ方も「そう仰らずに」としつこく勧める。これが半永久的に続けられるのである。「本当に結構」と言いながら覆った器の上の指の間が一箇所大きく開いていたりする。その間から無理やり注げという意味なのだ。注がれたお茶を全部飲み干してはまた駄目で、「空いてるなんて縁起が悪い(トンバ・ナムトー・チェギインタ)」と言ってまた注がれてしまう。まさしくバトルだ。

(月刊『言語』1995年10月号より)