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はしごを降りてくる弥勒 −チベットの弥勒信仰−

 見上げると天空のかなたから何かがするすると降りてくる。はしごの様だ。辺りがぱっと明るくなって眩しいばかりの光りが射してきた。いままでに聞いたことの無い様な、しかしとても懐かしい様なそんな音楽が聞こえてくる。角度のある、そのはしごを緩やかな歩調でひとりの佛陀が降り立って来た。我々が何世代にも亘って永い間待ち望んでいたマイトレーヤ佛陀なのである。

 佛典のなかでマイトレーヤは、菩薩としても佛陀としても登場する。『観弥勒菩薩上生兜率天経』(大正蔵十四巻)には、弥勒菩薩が命終して兜率陀(トゥシタ)に往生し、天主となって法を説き諸天子を導びき、五十六億萬歳の時に閻浮提に弥勒佛として下生するという内容が記述されている。また釈尊の佛伝の中には、釈尊自身が母親の胎内に兜率天から降下したことになっているものもある。兜率陀(トゥシタ)という言葉の意味は「満足した」とでもいう意味で、六欲天の中の下から四番目の天がこの名で呼ばれているのである。チベット語では「ガンデン」と訳す。この天空の中の「ガンデン」から弥勒佛(チベット語ではジャムパ(慈氏)あるいはミパム(アジタ=不敗)と呼称される弥勒が降り立って来るのである。

 マイトレーヤ=弥勒の名はこのように極めて宗教的神話的な響きもある反面、仏教思想史の中では「弥勒五法(ジャムチュデガ)」と称される諸論書の著者として知られている。もっともこの「弥勒五法」はチベットでのみ採られる説で、『大乗荘厳経論頌』『中辺分別論』『法法性分別論』『現観荘厳論』『宝性論』の五論書の頌の部分を弥勒の作とする説である。これらの論書は唯識思想や如来蔵思想の源泉と考えられている作品であるが、実際にはアサンガや他の著者の作品であることが判明している。やはりアサンガが宗教的な啓示をマイトレーヤから与えられてこれらの思想を完成させたと見るのが本当なのだろう。

 アサンガ(無著)がマイトレーヤから啓示を受けて弥勒の五法を伝えた事情はチベットでは次のような物語で語られる。中国所伝の『婆藪槃豆法師伝』とは少々異なっていて興味深いのでプトゥン・リンチェントゥプ(一二九〇〜一三六四)の伝える物語(『プトゥン仏教史』タシルンポ版一一五b〜一一六a)を取意しながら援引してみよう。

「彼ら(アサンガとヴァスバンドゥの兄弟)が成長して、皆から家業を手伝うように要請された時、母親は『私は貴方達をそんな事の為に生んだつもりはないわ。貴方達にはしっかりと修行して身を清め学問を修めて法を広めて欲しいの。』と語ったという。弟はカシミールに出かけてサンガバドラに師事したという。兄はクックタパーダ山の修行窟で修行に励んだという。兄の修行は三年にも及んだが一向に進展しなかった。彼は失意に暮れ修行窟を出た所でひとりの奇妙な老人に会った。老人は何と鉄の棒を木綿で擦りながら針を作ろうとしていたのである。老人は言う。「心をしっかりと保ち何事でさえやり抜く決意であれば出来ない仕事など有り得ないとわしは思う。忍耐を失うことなく進めば手の平だけで山をも崩すことが出来るさ」と。アサンガは再度修行に取組み、岩が水の雫や鳥の羽で変形している姿に励まされながら都合十二年の間必死で修行した。しかしそれでも悟りは訪れなかったという。悲嘆に暮れ再び修行窟を離れたアサンガは一匹の野良犬が下半身を蛆虫についばまれた哀れな姿で苦しんでいるのを見た。アサンガは心から大悲心を起こし考えた。蛆虫も殺さず、犬も助かる方法はないものか。アチンタの村に赴いたアサンガは金のナイフを手に入れ自らの肉を削ぎ落として蛆虫に与えて助けようとしたのである。手でしていては蛆虫を殺してしまう恐れがある。そこで舌で蛆虫を自らの肉に移そうとしてそっと目を閉じたその時、犬は忽然と姿を消し、そこにマイトレーヤ=弥勒が神々しい光の中で立っていたのである。アサンガは言った。「おお救世よ。私はありとあらゆる修行の努力をしたのですよ。しかし何の兆候も訪れなかった。ひどいじゃないですか。今までどうして姿を現して呉れなかったのですか。」弥勒は答えて言った。「天がいかに雨を降らしても種に欠陥があれば育つことはない。佛陀がどれだけ現れていても未熟なものはそれを享受できないのだ。私は最初からここにいる。しかし汝はそれに気付かなかった。汝の煩悩がそれを邪魔していたのだ。今、汝の大悲の心で障りが清められ私を見ることが出来た。嘘だと思うなら私を肩に担ぎ人々に私を見せてみなさい。」弥勒の言葉通り、誰ひとり弥勒の姿をみることは出来なかった。「汝の望みはいったい何なのか。」弥勒の問いに答えてアサンガは「大乗の法を広める為にご指導をなにとぞ賜りたい。」弥勒は「私の法衣をしっかりと持っているんだぞ。」と言って、アサンガを兜率天に引っ張り上げたのである。アサンガが兜率天に滞在したのは一瞬間であったが、これは人間世界では一生の時間にあたるという。アサンガの求めに応じて弥勒は〔弥勒の五法(ジャムチュデガ)〕を著したと伝えられる。」

 ガンデン(兜率天)の名は歴代のダライラマ政権とは深い繋がりがある。デプン僧院にガンデン宮殿と呼ばれる建物があるが、これはダライラマ五世がポタラ宮殿を建築する以前はダライラマの宮殿であった。そのダライラマが所属する宗派であるゲルク派(もとはガンデン派とも呼ばれていた)には四大僧院の一つとしてガンデン僧院があることは有名だ。モンゴル最大の僧院もガンデン寺と名付けられている。その昔、チンギスハンもフビライも自らを「転輪聖王」になぞらえていたようだが、様々な経典がこの「転輪聖王」と弥勒との関係を語っている。この理想の王たる「転輪聖王」と「弥勒佛」とはともに未来の世に現れ出る救世主なのだ。阿含経典に相当するパーリ文ニカーヤの『長部』第二十六「転輪王獅子吼経」には、弥勒佛が未来八万歳の時に出現すること。ケートゥマティー都城にサンカ転輪聖王が出現して四天下を統一すること。王は弥勒如来の下で出家することなどが説かれている。

 チベットやブータンでは各地に「トンドル」と称される仏像や仏画のご開帳の祭りが存在する。「トンドル」とは字句通りに訳せば、「見て解脱する」という意味である。つまり、その像を一度拝むだけで未来に解脱を得るという信仰なのだ。弥勒信仰には上生信仰と下生信仰とがあることはここで言うまでもないだろう。弥勒を拝んで兜率天(ガンデン)に往生し弥勒の弟子となって成佛するという上生信仰。未来に弥勒がこの世に降り立って救ってくれるという下生信仰。この二種の信仰の両者がこの「トンドル」信仰には渾然と一体になっているのである。一年に一度お祭りの時にご開帳される弥勒像を一目拝もうと庶民は押し掛ける。常設のものもある。例えばデプン僧院の集会堂(ドゥカン)二階にはトンドルラカン(トンドル堂)があり一階部分に安置される巨大な弥勒像の頭部が顔を覗かせる二階で尊顔を拝めるようになっている。ラサ観光の折りには是非ともおすすめの「トンドル」だ。なにしろ見るだけで解脱が約束されるのだからこんないいことはない。ただし堂守りのお坊さんにはお布施の功徳も忘れずに。すこし解脱が早くなるかも。

 チベットで最大の、いや恐らく世界最大の弥勒佛像はチベット第二の都市シカツェのタシルンポ僧院集会堂(ドゥカン)に安置されている弥勒像であろう。アサンガが背負った弥勒は煩悩の目を持った一般大衆には見えなかったが、ここの弥勒さまは、これでもかとよく見える。とにかくこの弥勒像はでかい。台座の高さが約四米。佛高は二十二米余り。合わせて高さ二十六米強である。どの位の重さがあるのかは調べても分からなかったが、この弥勒佛は、はしごを使ってこの世に降り立つにはちょっと重すぎるとは思う。タシルンポ僧院の弥勒像縁起(『扎什倫布寺簡介』蔵文、西蔵人民出版社、三四〜三六頁)を紐解いてみると、後にダライラマ第一世とされる開祖ゲンドゥントゥプの故事に由来することが分かる。

 ゲンドゥントゥプ(一三九一〜一四七五)は派祖ツォンカパ尊者の主要な弟子の一人であるが、彼の夢に兄弟子のケートゥプジェ尊者が現れ、弥勒像の建立を何時になく強く進言したという。ゲンドゥントゥプはこの啓示を実現すべく様々な方面に協力を求め、多くの寄進を集め、一四六一年に金銅製の弥勒像を建立したという。そして左右には脇座として観音像と文殊像を安置したと伝えられる。仏師は最初リモチェに滞在していたネパール人仏師を招待したのだが妨害に会い、結局はネーニンから細工師を呼んだと伝えられる。制作完成までには様々な奇瑞が起こったといわれる。弥勒像の左の耳たぶには派祖ツォンカパ尊者の姿が浮かび上がったという。(でもどうしてツォンカパだって分かったんだろう。)体内には多くの聖遺物やダラニの経函などが納められたという。しかしその時ゲンドゥントゥプの弟子のダチョムチャルカなる人物が二つの太陽が昇るのを見た。一つは現在の太陽でありもう一つは未来の太陽と見なされた。現在の太陽はゲンドゥントゥプが建立したこの弥勒像、そして、これより大きい第二の未来の太陽はより大きい弥勒となって将来再来するだろう。との予言をしたのである。それが集会堂の弥勒大像である。この弥勒大像はパンチェン第六世のチュキニンマ(一八八三〜一九三七)によって建立されたものであるが、この弥勒像にも数々の奇瑞が言い伝えられている。開眼の時には眉間の白毫に花びらが吸い付き、天空からは花びらの雨が降り虹が出たとされる。その後も奇瑞は続く。晩になると出家比丘形の何者かがその弥勒像から出たり入ったりするのが目撃されたという。弥勒菩薩は出家比丘の姿でどこにだれを救いにいったのだろうか。青山の総本部から晩になるとベンツに乗って上九一色村に出かけていた出家者マイトレーヤさんはいまごろどうしているのだろうか。

(月刊『しにか』1995年10月号より)