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ネパール・チベットにおける観音信仰

 オム・マ・ニ・ペ・メ・フーム。熱心に真言を唱え、マニ筒を廻しながら巡礼者が峠道を通り過ぎていく。峠には誰が積んだか沢山の石が積み上げられ祈りの旗が風になびいて寂しげな音を立てている。それらの石に刻み付けられた真言も同じ六字のオム・マ・ニ・ペ・メ・フーム。チベット人の生活に六字真言は切っても切り離せないものとなっているのである。この六字真言は実は、『カーランダヴューハ』と題する観自在菩薩の功徳力を説いた経典に述べられているもので、正式には「シャダクシャリーマハーヴィドゥヤー(六字大明)」と呼ばれる。経典は十世紀頃に天息災によって中国語に翻訳され、『仏説大乗荘厳寶王経』と題されている。六字の呪文はやがてチベットで大いに普及した。六字真言はそのまま観自在であり救済の神である観自在と六字真言は一体であると人々は考えたのである。

 中国・日本に伝わる説話では、本体観世音菩薩は長者や僧侶など様々な化身の姿を示現して我々救済を求める民の前に現れるが、ネパールでは百八体の様々な姿をもつ様々な変化観音として信仰されてきた。それらの中には六字真言と一体である「六字(シャダクシャリー)観自在」も含まれる。普通は一面四臂の姿で描かれ、前の二臂で虚心合掌をし、後ろの左手で数珠を持ち右手で蓮華を持つ。この姿はチベットでも好まれるが、さらに脇仕として白ターラー尊と緑ターラー尊をともなった三尊形式が特に好まれるようである。ターラー(多羅母)尊は本来は観自在の瞳(ターラー)から放射された光の中から生じた女神であった。人々を救い切れない観音が失意の中で瞳から流した涙から蓮華は生え、その蓮華からターラーが生まれて、私が人々を救う手伝いをするので嘆かないでと観音に語ったという逸話は特にチベットで好まれ語られるものである。中国では多羅母観音として観音であると分類されることもあるが、チベットではターラーは観音とは別の尊格として独自に熱心な信仰を集めた。

 チベットに吐蕃(とばん)と呼ばれる強大な統一国家を造り上げたソンツェン・ガムポ王(六世紀末)はチベット建国の父として尊敬を集めその像も多く作られた。ポタラ宮にもチョカン(大招寺)にもソンツェン像が置かれた祠が存在するが、そのソンツェン像が被る長いターバンの上端からは小さな別の顔が覗いている。つまり、ソンツェン王は観音の化身として位置づけられているのである。観音菩薩であることをひた隠すターバンから図らずも顔が覗いてしまったのである。ソンツェン王には文成公主とティツゥン王妃という二人の王妃がいたが、文成公主は白色ターラー、ティツゥンは緑ターラーの化身と考えられ三尊形式で祀られることが多い。

 ネパールの百八観音には上述の「六字観自在」の他にも、日本には馴染みのない名と功徳力を持った多くの観音菩薩がいる。三眼を持ち一面二臂で白い身体の右膝を立てて獅子の上に座っている「獅子吼観自在」。一面八臂で蓮華を持って左足で立ちながら舞踏している「蓮華舞自在観自在」。ヒンドゥー教のシヴァ神の特徴と逸話をそのまま採ってきた「青頸観自在」。来世で得ることのできる良き生まれを明らかに示す一面六臂の「善趣示現観自在」。餓鬼の苦しみを取り除き楽を与える一面六臂の「施餓鬼観自在」。蛇・獅子・ガルダ鳥・ヴィシュヌ神を乗り物としてその上に座す「ハリハリハリハリヴァーハナ観自在」。等々様々な観自在が描かれ信仰されてきた。

 絵画として描かれ信仰される様々な観自在の姿を見てきたが、勿論、チベットで塑像彫像として造られ祀られる最も一般的な観音像は中国日本と同じように十一面観音であり、千手千眼観音である。観音さまのほうは、救済したい救いたいの一心なのだ。しかし、筆者のようにハンドクリームや目薬りの心配などしている俗物は救いようがないのでは。

(月刊『しにか』1994年10月号より)