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2012年印仏学会ちょっとだけ(第五部会)報告

 

日本印度学仏教学会第63回学術大会が6月30日(土)と7月1日(日)に鶴見大学を会場として開催されました。チベット関係は第5部会の30日午前に主として集められていたので、研究発表を聞きに行って来ました。駅の近くでアクセスが良く、新しい建物で快適でした。ただ発表会場にあてられた教室が少し狭かったかな、というのが今回の印象です。

 チベット学ウオッチャーの私としては、チベット関係の発表のある第五部会の会場(1号館4階406教室)に30日の午前ず〜と居すわって発表を聞き勉強してきました。以下はその報告です。(いつものとおりダイアクリティカルマークは省略します。)

■安田章紀「ロンチェンパにおける3脈の理論」

 

 5部会最初の発表は京都女子大学非常勤講師の安田章紀さんによる「ロンチェンパにおける3脈の理論」と題する発表でした。ニンマ派の教学を大成したロンチェン・ラプジャムパの記述の中から、インド後期密教の伝統を引き継ぐチベット仏教諸派がひろくその実践手法のひとつとする脈管を使った修行に関する文章を紹介する発表でした。身体の右を走る「ロマ」左を走る「キャンマ」そして中央の「ウマ」この三本が最も重要とされます。今私は「脈管」と呼びましたが、管と呼んだほうが血管とかリンパ管とかいうようにイメージし易いと思って今までそう呼んできたのですが、今回の発表を聞きながら少々反省しました。脈の総数は72,000本あるんだそうです。光ファイバーの束のようなものなのでしょうか?けど、色んな要素がこの脈で移動します。精液や経血、水や血や、さらには意識や光明までがその回路をつかって移動するのです。この壮大なイメージの体系がどうやって出来てきたのか今後の研究に大いに期待したいものです。

発表風景

■渡邊温子「カギュー派の源流 -- マルパからミラレーパへ --」

 2番目の発表は大谷大学大学院の渡邊温子さんの「カギュー派の源流 -- マルパからミラレーパへ --」という発表でした。マルパがインド留学で学んできた教えの中の何がミラレーパに伝承されたのかという課題の下にマルパ伝やミラレーパ伝の中から両者の関係が分かる記述を探索した研究です。私が興味を持ったのは、ミラレーパはマルパだけから学んだのではなく、例えばバリ尊者を訪れて灌頂を受けたりしているという点です。若いころ私は『タルゲン』のルンをカルーリンポチェから受けましたが、それを薦めたのは私の師のゲシェラプテンでした。そしてラプテン師は私の横で横並びに下座に侍ってカルーリンポチェから同時にルンを受けていました。師の貪欲な向学心に感心したのを思い出しました。

■石部道明「『ガリム』における究竟次第について -- 六支ヨーガを中心に --」

 3番目の発表は高野山大学密教文化研究所受託研究員の石部道明による「『ガリム』における究竟次第について -- 六支ヨーガを中心に --」という発表でした。ゲルク派の派祖ツォンカパの主著のひとつである『秘密道次第論=ガリム』の中の究竟次第を構成している六支ヨーガの記述を検討して、六支ヨーガの内容について考察した研究です。ここでも前述の安田さんの研究で触れられた脈をつかった瞑想の実習が説かれているのですが、興味深いのは六支が二つづつに纏められ三区分されその三区分の内容が行者の身・口・意の活動を浄化することによって成就すると説明されていることです。ちなみに、北村太道先生とツルティム先生の共訳で『秘密道次第大論(上)無上瑜伽タントラ概説』(永田文昌堂、6月10日刊)が出版されました。後ろにテキストもチベット文字で付いてて便利、何よりも図や写真がふんだんに添えられて解りやすい。北村先生はすごい。
 

■西岡祖秀「『グルブム』にみられる断境説について」

 4番目の発表は四天王寺大学の西岡祖秀先生による「『グルブム』にみられる断境説について」という発表でした。『グルブム』とは、二番目の発表で扱われたミラレーパの主著とされている文献です。「断境説」といえば、シチェ派の教学として有名で正直に言えば私にはこの発表で扱われた両者の接点に関する知識は全くありませんでした。『テプテルグンポ』にパ・ダンパサンギェとの会談の記事があったことさえ知りませんでした、恥ずかしい。資料として配っていただいた訳を読むと、パダンパがミラに与えた『金剛歌』の教誡の内容は実に明快な仏道修行者全体に通じる助言だと思いました。女系のマチクのほうがやたら有名ですが、パダンパって度量の大きい大人物だったんだ。西岡先生は、他のカギュ派系の諸論師たち(ランジュンドルジェやタントンギェルポ等)の「断境説」研究についても指摘しておられました。素晴らしい発表でした。

■渡辺和樹「paksa-antara (Pras.16・2) の解釈について」

 

 5番目の発表は駒沢大学大学院の渡辺和樹さんによる「paksa-antara (Pras.16・2) の解釈について」と題する発表。この発表で扱われる『プラサンナパダー』というのは中論の注釈書の中のひとつですが、近年新たな注釈書が新出資料として公刊されたこともあって研究が急に盛んになって来ました。この発表はその (16・2)で出てくる「パクシャアンタラ」という言葉の意味に関するものです。かつての訳を見ると「他派」と理解している訳者も多い部分なのですが、渡辺さんはコランパの『中観概論』の中にこの点に関する記述があることに注目し、そこで議論されていることを吟味してこの言葉は中論冒頭の四不生に関する議論であり、ツォンカパの説と思しき論者の説を批判する形で、この言葉を「”自らの生起”がないこと」という意味でコランパが理解していることを報告されてました。今後「離辺中観派」との関連性も含めて研究を進められるとのことです。大変力量のある研究者だと思いました。今後注目したいと思いました。

発表風景

■福田洋一「kun rdzob bden pa'i ngo bo と don dam bden pa'i ngo bo -- 『入中論』第6章第23偈の解釈をめぐって」

 6番目の発表は大谷大学の福田洋一先生による「kun rdzob bden pa'i ngo bo と don dam bden pa'i ngo bo -- 『入中論』第6章第23偈の解釈をめぐって」という発表でした。『入中論』第6章第23偈に出てくる ngo bo という言葉に関連してツォンカパが、勝義の ngo bo と世俗の ngo bo があると述べていること、その両者が ldog pa tha dad (概念上は別もの)だが、ngo bo gcig (本質的には同じ)と見なされていることを紹介する発表でした。このことは、ツォンカパの中観派理解の特徴のひとつである「縁起と無自性が同一基体において矛盾なく成立する」といういわゆる「不共の勝法」と呼ばれる考え方の基礎を成す理論のように思えます。この発表を聞いていて妄想したのは、恐れ多いけれども、もしツォンカパ尊者に人生相談をお願い出来るような機会があったら多分あらゆるレヴェルで満足のいく解りやすい助言をしてくれそうだなと、そんな気がしました。

■青原彰子「『サムスクチェンモ』における修習の心依と「道」」

 7番目の発表は広島大学大学院の青原彰子さんによる「『サムスクチェンモ』における修習の心依と「道」」という発表でした。ゴマン学堂の基礎教育で学習される『サムスク』は「定」に関する議論を『ラムリムチェンモ』や『レクシェーセルテン』に準拠して概説した書物です。青原さんの今回の発表は、そこで言及される「心依 sems rten」という言葉が「そのものとなっている ngo bor song ba」という表現と密接に関連していることを指摘して「定」の修習の進展に即して心がどのように成長しているかを修行者が自覚する基準として提示されていることを述べた発表でした。ゴマン学堂では徹底した哲学訓練をしますが、心の安定にも十二分に心懸けているのです。現代の仏教学者の中にも、心の鍛錬も同時にやって欲しいな、と思わせる人が居ることを今回の学会でも感じたのは私だけでしょうか?
 

 
午前8番目に予定されていた韓国の車(チャ)先生の発表は取り止めとなりました。

■原田覺「敦煌本 Rigs pa drug [cu] pahi tshig lehur byas pa」

 午前最後の発表は国士舘大学教授の原田覺先生による「敦煌本 Rigs pa drug [cu] pahi tshig lehur byas pa」と題する発表でした。中観に関する論書はチベット語のみで残っているものが沢山あるのですが、問題は翻訳の時期です。吐蕃時代のチベット本土と敦煌での翻訳の温度差事情も十分には分かっていませんが、後伝期の訳業で自立派と看做される論書がどう扱われ、テンギュル編纂事業の中で中観論書がどのように選別され配列されていったかも十分に分かっているわけではありません。今回の原田先生の発表は、敦煌写本の中の795番と 796番が本来は 796番の末尾が795番の冒頭に繋がっているものであること、それを合わせるとほぼ完本になること、実際には数合わせで最後の偈文が欠けていること等、数々の新たな考察材料を報告提供したご発表でした。ところで、毎回、グチっているのですが、原田先生は発表の時に資料をお配りにならない主義みたいで、はっきり言って分かりにくいです。
 

 
どの発表も各々興味深い話題でした。けどやっぱり発表時間が短くてもう少し時間があれば、という気持ちが残ります。せめてもう5分発表時間を長くして質問あわせて30分にできないでしょうかねえ。