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08年印仏学会ちょっとだけ(第五部会)報告

 

日本印度学仏教学会第59回学術大会が9月4日(木)と5日(金)に愛知学院大学を会場として開催されました。チベット関係は第5部会の4日に主として集められていたので、新幹線と名鉄バスを乗り継いで行って来ました。以前にも訪問したことはあるのですが、こんなに広かったかなあ、というのが今回の印象です。

 チベット学ウオッチャーの私としては、チベット関係の発表のある第五部会の会場(14号館2階14206教室と言ういやに大きい桁数の教室)に4日の午前と午後ず〜と居て発表を聞き勉強してきました。以下はその報告です。(いつものとおりダイアクリティカルマークは省略します。)

■井内真帆「デンマ - 東チベット仏教復興の地 -」

 

 5部会最初の発表は大谷大学助教の井内真帆さんによる「デンマ -- 東チベット仏教復興の地 --」と題する発表。デンマというカム地方の町は現在は四川省カンゼチベット族自治州という行政区分に属していますが、チベットの歴史の中では古代から現代に至るまで幾度もその名が登場します。今回の発表はデンマという土地が持つ歴史上での位置を辿りながら、特に吐蕃滅亡後の仏教復興運動の中で占める重要な位置について、現地に残る遺蹟へのフィールドワークの成果と共に報告されたものです。デンマという土地はチベット絵画史に於いても重要な土地ですのでその観点での調査もぜひ期待しています。

発表風景

■村上徳樹「対象認識と自己認識の区別について」

 2番目の発表は東京大学大学院を終了された村上徳樹さんによる「対象認識と自己認識の区別について」という発表でした。村上さんの今回の発表は、ギェルツァプジェなどのゲルク派に属する論師たちとサキャ派の例えばコラムパなどの学僧たちとの<自己認識の主体と客体との間の関係>に関する異なった解釈を歴史的に位置付け直して、ゲルク派の論師たちの批判が、先行するサキャ派のロントゥンの意見に対するものであることを確認したものです。認識主体が自己を認識対象として認識している場合の自己が何なのか、を考えていて、発表者村上さんの刈り込んだ頭の後頭部の羨ましいほど美しい形状を、ご自分では直接じかに眺めることはないのだろうな、とぼんやり思ったのは不届き者の私だけです、と自己認識した私の意識を客体的に.........。

■原田覚「レーチェン=クンガーゲルツェン著『カーダム法源明灯』考 II」

 3番目の発表は国士舘大学の原田覚先生による「レーチェン=クンガーゲルツェン著『カーダム法源明灯』考 II」という発表でした。去年に引き続いての発表ですが、今回はその中でもタシルンポ僧院の第二代目の管長さんであったサンボタシの伝記についてのご報告を含む発表でした。初代はダライラマ系譜とも関係するのでそれを考えながら聞くと興味深い内容でした。
 

■谷口富士夫「トルブパの般若波羅蜜理解 -- 現観荘厳論註を中心として --」

 4番目の発表は名古屋女子大学の谷口富士夫先生による「トルブパの般若波羅蜜理解 -- 現観荘厳論註を中心として --」という発表でした。トルブパの『現観荘厳論註』では、般若波羅蜜を二分して、実なる般若波羅蜜と仮の般若波羅蜜とがあると説明されているそうです。『現観荘厳論の註』とはいうものの実際には元の "論"を離れて自由に自分の説を展開している様です。この発表の中でも頻繁に出てくる表現「大中観論師ヴァスバンドゥ」という表現は、チョナン派の文献にはよく出て来る用語のようですが、聞き慣れないのでぎくっとします。けどよく考えると、「空性をよくご理解なさっていたゴータマは...」という文章ならそれほど違和感ないので「中観」という言葉の意味を我々は随分と狭く限定して使っているのかも知れません....と考え始めている私は、チョナン派論師の術中に見事に嵌っているのかも。

■野村正治郎「ツォンカパの空思想における絶対性」

 5番目の発表は大谷大学真宗総合研究所の野村正治郎氏による「ツォンカパの空思想における絶対性」という発表でした。野村さんは言います「ツォンカパは、空思想に "否定対象の確認" という考え方を導入して、空思想における変数を固定し、さまざまな空思想をすべて否定対象を捉える知の把握形式の問題へと還元した。」と。なるほど、個別のひとつひとつを否定していては永遠に否定を続けなければならないけども、否定する対象がすべてに行き渡るものなら例外もなく恒常的にその否定は成立することになります。けど、ここで話は変わりますが、「無自性」とか「空性」とかいう表現を使わずに、ごく普通の一般的な言葉(けっして西洋哲学の用語なんかじゃなくて)を使って、この変数を説得力のあるものにする必要があります。私は多分、動物が進化の過程で獲得した認識の仕組みを仏教の認識論を知る者が進化の過程に則して説明し直す、という作業からそれが生まれて来るように思えるのです。

■西岡祖秀「チャンキャラマ二世の蔵文『清涼山志』」

 6番目の発表は四天王寺大学の西岡祖秀先生による「チャンキャラマ二世の蔵文『清涼山志』という発表でした。チャンキャ2世と言われても数え方がいっぱいあるのでややこしいですが、ルルペードルジェのことです。その著書の中に変なタイトルの本があります。『清涼山志・末尾未完』です。清涼山というのは五台山のことです。この奇妙なタイトルの謎解きが発表では行われます。ルルペードルジェの伝記の記述から、最初は全5章からなる『清涼山志』を企画したけれども2章まで口述した時に中断し、弟子の勧めるままに『五台山聖境讃』を詠まれたことが分かって来ます。その後別の人物が補遺したものを再度チャンキャが校閲した、というのが経緯のようです。大変興味深い内容でした。以前に「カタ」の柄について調べた時にこの伝記の一部を読んだのですが、他にも山ほど面白い逸話があって面白い。いかに清の皇帝たちがチベタン・サポーターであったのかがよく分かります。
 
この後の午前7番目、龍大の入澤先生の発表はチベットを対象としたものではなかったので省略します。けど、入澤先生は現地調査を重ねるほどに、優しいのは今まで通りですが、見た目が重厚で強くなられたように思いました。戦乱の地の現地調査の経験は凄いものだと思いました。インディージョーンズみたいでした。

■石川美恵「dPal brtsegs の "Chos kyi rnam grangs kyi brjed byang"について」

 5部会午後の1番目の発表は東洋大学東洋学研究所客員研究員の石川美恵さんによる「dPal brtsegs の "Chos kyi rnam grangs kyi brjed byang"について」という発表でした。石川さんが以前に出版された『二巻本語合釈』の本は、私の大のお気に入りの本で、指導学生には必ず手に入れて置くように言っています。チベット語の仏教用語がどれほど綿密に考えられた末に決定されたのか、という事が良く分かる本だからです。今回の発表も広い意味では同じ種類に属するもので、翻訳官のペルツェクが纏めた仏教用語の語彙集です。84の大見出しのもとに合計705語の仏教用語が収録されています。配られた資料には『翻訳名義大集』や『二巻本語合釈』との異同も表記されていますが、それらの書に含まれない語も収録されているようです。実に石川さんらしい綿密な仕事です。見た事なんかありませんが、石川さんがマーケットに買い物に行ったら、売り場の棚を端から順番に一応は全部目を通して他の店との価格差を考えながら歩くのではないか、と勝手に思っています。
 
午後2番目に予定されていた発表は取り止めとなりました。

■現銀谷史明「薀・界・処について」

 

 午後3番目(実際は2番目)の発表は東洋大学東洋学研究所客員研究員の現銀谷史明さんによる「薀・界・処について」と題する発表。サキャ派のコラムパが著わした Phung khams skye mched kyi rnam gzhag 『蘊界処の設定』という書物がどのような構成で著述されているのか、著述の意図は何なのか、どのような引用文献が多いのか、などの問題を現銀谷さんはこの発表で明らかにしていました。『倶舎論』『集論』のほかに『五蘊論』が主に引用言及されているそうです。コラムパは勿論、アビダルマを語ろうとしたのではなく、これらを対象として我執や我所執が発生するので、これらがただ法のみの存在であることを確認させて迷乱を取り去るべきことが言いたいのです。まったく余計な話ですが、私はこのところ、我執や我所執がどんなポジティヴな意味を持っているのか、という点に深く興味を持っています。
 
次の4番目の発表もチベット関係の発表ではなかったので省略します。ごめんなさい。

発表風景

■望月海慧「Dol po pa は Ratnagotravibhaga をどのように読んだのか」

 5番目の発表は身延山大学の望月海慧氏による「Dol po pa は Ratnagotravibhaga をどのように読んだのか」という発表でした。いつもながら発表資料が凄い!すみません、会場に聞きに来れなかった指導学生の為に余分に1部貰ってしまいました。午前の発表で谷口先生も扱っておられた他空説の問題ですが、チョナン派のトルブパが自らの教学である唯識と中観を融合した「大中観」思想を形成する基盤として、『宝性論』に対しどのようにアプローチしたのか、という問題を彼の著書である『宝性論釈』を精査して解明しようという試みです。しかし結果として出て来たのはこの釈が語釈の域を出ず、独自の見解という意味では彼の主著である『Ri chos nges don rgya mtsho』や『lTa ngan mun sel zhes bya ba'i bstan bcos』等での引用の仕方を見て考察すべきだ、という結論でした。

■根本裕史「ゲルク派における「常住」と「無常」の解釈」

 

 午後の6番目の発表は広島大学大学院の根本裕史さんによる「ゲルク派における「常住」と「無常」の解釈」という発表でした。rtag pa を常住、mi rtag pa を無常と普通訳しますがはたしてそれでいいのかなあ?と、私はいつも疑問に思っていました。「非無常」なんてのもありかな、と思っていたのですが、根本さんの発表はそれに関する事です。ゲルク派の中では、経量部などがその学説の中で使う「常住」という用語は「それ自体が消滅しないもの」という意味であると看做しているようです。そしてさらに常住を「恒久的常住 rnam pa thams cad pa'i rtag pa」と「一時的常住 res 'ga' ba'i rtag pa」に分けて考えるのです。なるほど!例えば、真空状態の中で伏せたコップの中の真空はどう考えても「一時的常住」です。つまり常住なものは存在するのです。彼らゲルク派論師の意見は素朴です。無為法を仏陀が認めたのですから常住を否定するのは仏陀の理論を否定するようなものだという考えです。さらに、「法性」は時間的な変化とは無縁なので常住なのです。「本日限定!6時半から7時までタイムサービスの空性」などないのですから。

発表風景

■桂紹隆「『カーヴィヤーダルシャ』チベット注釈者の梵語理解」

 

 4日5部会最後の発表は龍谷大学の桂紹隆先生による「『カーヴィヤーダルシャ』チベット注釈者の梵語理解」と題する発表。桂先生、大谷大学のツルティム先生と一緒にカーヴィヤ関係のチベット語文献を読んでおられるそうで、その中間報告でした。チベットにカーヴィヤを取り入れたのはサキャパンディタで、『カーヴィヤーダルシャ』も訳し始めたのですが、未完でした。その後その意思を継いで幾人かの手によって翻訳され注釈されていったと伝えられています。発表の内容より、桂先生とツルティム先生が対面して読んでおられる姿を動画で撮ってYouTubeにでもアップしたら結構アクセスがあるのではないかと思ってしまいました。

発表風景