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05年春期モンゴル学会報告

 

日本モンゴル学会2005(平成17)年度春季大会が5月21日(土)の午後に早稲田大学の文学部戸山キャンパス33号館を会場として開催されました。戸山キャンパスに辿り着くだけでも大変なのに、その戸山キャンパス自体もなんだか広くて迷っちゃいました。

 今年もたくさんの発表がありました。以下にその要旨を私なりに紹介しておきます。

■オユンジャルガル(oyun jargal)氏(東北大学大学院環境科学研究科博士後期課程)「乾隆期中葉におけるドゥルベドの牧地問題について」

 

 さて、研究発表ですが、先ず最初の発表は東北大学大学院環境科学研究科博士後期課程のオユンジャルガル(oyun jargal)氏の発表「乾隆期中葉におけるドゥルベドの牧地問題について」と題する発表でした。ジュンガル盆地をかつては本拠地としていたドゥルベド部の一部は清朝期にウヴス湖近くのウラーンゴムに移住して住みつきます。1番目の発表者オユンジャルガルさんの研究はその最終の地に落ち着くまでに転々としながら何処をどんな理由で移住していったのかを『平定準喝爾方略』等の史料を使いながら調べたものです。地図上で記されたルートを見るとかなりあっち行ったりこっち行ったり大変だったみたいです。私も引っ越しするたんびに部屋が小さくなっていきます(関係ないけど)。

発表
風景

チョクト(朝克図)氏(内モンゴル大学モンゴル学研究院専任講師)「ジャルリグに関する若干の問題について

 次の発表は内モンゴル大学モンゴル学研究院専任講師のチョクト(朝克図)氏による「ジャルリグに関する若干の問題について」と題する発表。モンゴル帝国内では「ジャサクあるいはヤサク」と呼ばれた規範(或いは法律)を遵守することが義務付けられていました。違反すれば罰則がありましたが、しかしこれは体系的な法典のようなものではなく、所謂命令書のようなものだったようです。発表者チョクト氏はこのジャサクと同じように使われることのある「ジャルリク」という言葉に注目し、それは天命を受けたハーンが「仰せ(ジャルリク)」になった言葉から発していると分析します。単なる「言葉(ウゲ)」が「仰せ(ジャルリク)=みことのり」になるには天の力を得たハーンによって発せられていることに意味があるというのです。発表聞いていて我が言葉には皆んな全然素直に従ってくれないのは何故なのか、と考えこんでしまいました。食べ物が悪いのかなあ、天どんとか天むすとか食べているんだけどなあ。

■フセル(呼斯勒)氏(東京外国語大学大学院地域文化研究科博士後期課程)「内モンゴル自治運動における内モンゴル人民革命青年同盟の役割(1945-48年)」

 

  3番目の発表は東京外国語大学大学院地域文化研究科博士後期課程のフセル(呼斯勒)氏の「内モンゴル自治運動における内モンゴル人民革命青年同盟の役割(1945-48年)という題の発表でした。さすがに近代史の発表だけあって、映像の提示も交えた発表で面白かったです。内モンゴルの革命史には不明な点がまだ多く残されていますが、この内モンゴル人民革命青年同盟の評価もそのひとつです。内モンゴル人民革命党との内ゲバ的な関係も交えながら、青年同盟の東モンゴル中央委員会の機関誌などの資料を使って検証した研究です。彼等が使った用語の中で「二つの道」という表現が印象的です。「二つの道」とは少数の上層人物を中心とする投降の道と広範囲な大衆の解放の道という意味だそうです。しかしこの「二つの道の闘争」を通して偏狭な民族主義に打ち勝った、というような表現を聞いていると私なんかは共産党中央の都合のよいように彼等が働いてしまったように思えてならないのですけどねえ。民族の伝統文化や自治を守ろうとする考えのすべてが「偏狭」呼ばわりされてはかないません。

発表
風景

■広川佐保氏(日本大学・東京学芸大学非常勤講師)「1920年代、中華民国におけるモンゴル問題の諸相--蒙事会議での議論を中心に--」

 4番目の発表は日本大学・東京学芸大学非常勤講師の広川佐保氏による「1920年代、中華民国におけるモンゴル問題の諸相--蒙事会での議論を中心に--」という発表でした。清朝ではチベット・モンゴルの問題は「理藩院」で審理されてきましたが、清朝没後は中華民国内務省の中に「蒙藏事務処」が置かれこの蒙藏事務処はやがて「蒙藏事務局」となり「蒙藏院」から「蒙藏委員会」と名前を変えていきます。この発表では1920年代の中華民国蒙蔵院での蒙事会議での議論を研究テーマとしています。この会議での議論は内モンゴルの軍の編成の問題や外モンゴルの奪回案が中心であったようです。まあ、一貫して蒙蔵院はモンゴル側の主張する権利を否定する立場をとってきたようです。話しはかわりますが、いまだに台湾政府の中には蒙蔵委員会があることを知ってますか?びっくりたまげです。また別のはなしですが、先年台湾で、大陸政府に批判的な或る人物と話しをしていて、独立派であるその人が「チベットは我が国の一部だ」と言った時にはあきれてしまいました。頭の中どうなっているんだ?不可分の飛び石領土か?

■木村理子氏(早稲田大学演劇博物館演劇研究センター21COE客員研究助手)「歌で演じた革命期」

 休憩をはさんで5番目の研究発表は早稲田大学演劇博物館演劇研究センター21COE客員研究助手の木村理子氏の「歌で演じた革命期」でした。プロジェクターを使って豊富な画像を示しながらの発表で楽しめました。発表の中心点は社会主義国家建設期のアジテーション劇場やプロレタリア演劇がロシア人指導者によってどのように展開したのかという点なのですが、私個人的には人民革命以前のチャム(チベット仏教の仮面宗教劇)の様子や、宗教劇の「サランフフーナムタル」等が上演されたという二階建て劇場、そして高あしだで演じられた中国歌劇ヤンゴなどの画像に興味しんしんでした。けど「社会主義リアリズム演劇」とか「アジテーション劇場」とかいう単語を聞いていると、「いやー早稲田に来たな」という感慨がありました。すみません、不真面目で。

■ムンフダライ(孟達来)氏(中国社会科学院民族学人類学研究所副研究員)「『モンゴル秘史』の狩猟用語について--狩猟用語からみた狩猟形態--」

 

 6番目の発表は中国社会科学院民族学人類学研究所副研究員のムンフダライ(孟達来)氏の「『モンゴル秘史』の狩猟用語について--狩猟用語からみた狩猟形態--」という題の発表でした。狩りを意味する単語は3つに系統に分けられるそうです。1番目は「aba」系の単語で元々はまき狩りを意味する動詞つまり集団で獲物を狩る行為から派生したもののようです。2番目は「goruen」系これは罠等の道具による狩猟形態に対応するもの、そして3番目は「sibawun」系こちらは鷹狩り行為から派生した単語だそうです。なるほど、なるほど。日本語なら「なんとか狩り」と言わざるを得ないけど、モンゴルの人にはそれぞれ全く異なる行為なんだ。聞いていて思ったのですが、それなら日本で「いちご狩り」とか「もみじ狩り」とか言う時の「狩り」を古典モンゴル語に直訳するときはどれ系を使うんでしょうね?それにしても『モンゴル秘史』の研究者って、本当に『モンゴル秘史』ばっか読んでるんだ。

発表
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■バトサイハン(Bat saikhan)氏(モンゴル科学アカデミー国際関係研究所研究員)による講演「モンゴルの独立とスターリン」

 

 今年も講演が二つありました。最初の講演はモンゴル科学アカデミー国際関係研究所のバトサイハン氏による「モンゴルの独立とスターリン」と題する講演でした。ロシアのアルヒーヴの一次資料が近年解放されて、この時期の生の資料を使った研究が続々と登場して来ています。この発表もそのような研究のひとつです。1945年の6月30日、中華民国行政院長の宋子文を長とする代表団がモスクワを訪問してここで外モンゴルの独立をスターリンは主張したのです。平ったく言えば「おまえら、外モンゴルを手放さなかったら内モンゴルまで失うでー」という脅しをかけたのです(あくまで平ったく言えばの話しです)。ヤルタ協定をふんまえたスターリンの論理と発言内容が良く分る資料でした。こんな最新の研究報告が日本語にきれいに翻訳されて当日資料として配られるのでこの学会好きです。

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■フグジルト(呼格吉勒図)氏(内モンゴル大学副校長・教授)による講演「モンゴル語『老乞大』におけるモンゴル語口語の特徴について」

 

 講演の二つ目は、内モンゴル大学副校長・教授のフグジルト(呼格吉勒図)氏による講演「モンゴル語『老乞大』におけるモンゴル語口語の特徴について」でした。モンゴル語がどんなふうに発展して変化してきたのかということを知る為の資料は、中世のモンゴル語に関しては他の時期と比べると豊富にあります。つまりウイグル文字、パスパ文字、漢字、アラビア文字等で記述された文献が残っているためです。もちろん現代モンゴル語も研究資料としては豊富にあります。問題は近代のモンゴル語の資料です。古典モンゴル文語で書かれた資料があるのですが、あくまで文語なのでよく分らないのです。現代モンゴル語の詳しいめの辞書を見ると古典文語が付記されていたりしますが、途中が分らないので違う国の言葉のようです。一番印象的なのは現代語では長母音や二重母音が圧倒的に多くなっている点です。この近代モンゴル語での母音事情を『蒙語老乞大』という韓国と日本に写本が残っている李朝で刊行された文献を使って探ろうというのがこの発表の要点です。そこにはモンゴル語の当時の口語の特徴が反映されているからです。

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風景

 いつも思うのです。モンゴル学会は内蒙古側とモンゴル国側との両方から沢山の研究者が発表しますが、毎回が国際学会のようなこんな学会は他にはありません。事務局のご苦労は察するに余り有りますが、別の意味で感心するのは彼等モンゴル人が国家や領土を超越した感覚をまだ持ち続けていることです。さすがは遊牧の民の子孫です。共同体というものは土地や国家という「器(うつわ)」の問題ではなくて構成員の問題だといういわば「ウルス」の精神が活き続けているみたいです。