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西藏学会報告

 

第50回の日本西蔵学会大会が10月19日(土)に東京大学の山上会館で開催されました。会場はキャンパス内の山上会館(赤門入ってからでも随分遠かった。地下鉄の駅から歩いたのでひと汗かきました)。今年は去年までとは違って午前から「コンピューター利用懇談会」があり、こっちがなかなか面白かった。真宗総合研究所のチベット班(三宅さんによる報告)">http://www.otani.ac.jp/cri/twrp/index.htmlや福田さん(東洋文庫から大谷大学に移籍) http://tibet.que.ne.jp/  のHP上でのデータベースの報告や、AA研の星さんによるデータベース(チベット語電子辞典、地名人名データベース、動詞正書法データベース)http://www3.aa.tufs.ac.jp/~hoshi/ の報告、早稲田の野村さんhttp://www.kokonor.com/shojiro/ (そして) http://www.kokonor.com/mmba/による様々なテキストの入力状況の報告、東北工業大学の小島さんhttp://www.tohtech.ac.jp/tt/mkojima/ekhome.htm によるチベット文字自動認識の研究の現状報告等、ホットな話題がいっぱいで、大いに楽しみました。午後1時からは本番の発表、今年は発表者十名という豊作でした。以下少しづつその内容を紹介してみます。

発表会場

■ツォンカパの空思想における三性説とその機能/野村正次郎(早稲田大学大学院)

 ツォンカパは三性説に関してそれまでチベットで行われてきた解釈とは全く違った解釈をなしたと伝えられていますが、その解釈とは大きく分けて二種あると野村さんは説明します。ひとつは存在すべてをまとめて説明するやり方としての三性説で、もうひとつは空性の命題の構成要素としての三性説だそうです。もちろんツォンカパの主眼は後者のもので、中観派の空思想と唯識派の三性説をどのように有機的に結びつけるかという難問に対するツォンカパの苦心の成果なのです。

■声聞独覚の法無我理解を可能にする論理/池田道浩(駒沢短期大学)

 ツォンカパはその著『セルテン』の中で、声聞独覚による法無我の理解について論を展開します。大乗の菩薩が法無我(存在の無自性)を理解するのは当然として声聞や独覚が出来るのかどうかということです。このはなしの前提には「所知障」という言葉の意味が大いに関係してきます、つまりタットプルシャで理解するか、カルマダーラヤで理解するのか、という違い、言い換えると所知障を「執着」ととるのか認識対象の「顕現」と考えるのかの違いです。

■初期チベット論理学における mtshan mtshon gzhi gsum の規定をめぐる議論につ いて/福田洋一(大谷大学)

 mtshan nyid というのは一般には「定義」と訳される述語で、「定義」と「所定義(定義されるもの)」と「定義例(定義が成立する個別の例)」との三つの間の関係は、チャパの時代から議論のまとでした。今回の発表はツァンナクパやロンチェンパのドゥラ書に導かれながら、その三者の関係が単に「定義」という日本語の意味するものをはるかに超えた深い哲学議論を生んでいることが報告されました。Webリファレンスがレジュメに書かれているところが福田さんのおシャレなところです。みんな見習いましょう。

■セルリンパの秘説「11と36の主要義(略義)」とは何か/斉藤明(東京大学)

 何かなぞなぞのようなタイトルですが、セルリンパ(スヴァルナドヴィ−パ)というのはアティーシャの先生筋の人でその人の師のダルマパーラが『入菩提行論』の11の主要義と36の略義を伝えたと伝承されているのです。そんならそれは一体どういう内容なのだ?という研究です。この纏め方は後世ではあまりメジャーにならなかった教えで、あの望月さんでも解明していない点でした。なぞなぞの答えをばらすと、11とは「十地+仏地」の11でした。それにしてもアティーシャの文章の中に「lam 'bras bu dang bcas pa」というサキャ派の道果説で使われる語があるとは知らなかった。興味しんしんです。

■Gu ge-Pu hrang 王国の仏教復興運動におけるlHa lde の役割について/井内真帆(大谷大学大学院)

 チベット仏教後伝期の最初、リンチェンサンポやアティーシャが活躍する基盤はガ−リ地区の仏教復興運動をすすめたグゲ・プランの王国でした。しかし歴史書の中でこの国の王統の記述は一致しません。今回の発表は『ガーリ王統史』やタボ寺等の壁画の記述に注目しながらそのクロノロジーを探ろうというものです。昔はイェシェウ−からラデ、そしてウーデからチャンチュブウ−とういう順に王権が移ったと思っていたのですが、井内さんの研究によればそれほど単純ではなく出家後にも実権を保持した「平の入道」みたいな存在を考える必要があるということです。

■17世紀チベット法典の系統関係について/手塚利彰(佛教大学大学院)

 ティムイクと呼ばれる一群の文献があります。手塚さんはそれを「法典」と訳します。いままで数種の文献が紹介されています。今回の手塚さんの報告は従来知られていたものに加えてダラムサ−ラのチベット図書館所蔵のもの数種を合わせてその内容の重複等がどのようになっているのかを整理したものでした。後世の編集によるもので、ツァン王カルマテンキョンの名を巧みに隠しながらも、その法典を収録していく様子が紹介されてました。

■吐蕃帝国のマトム(rMa grom)について/石川巌(東方研究会研究員)

 吐蕃の王朝はその王国周辺に千戸からなる Khrom 「軍管区」を置いて国境を警備したと伝えられていますが、それらの中のひとつとしてマトム(rMa grom)を位置付けられないか、というのが石川さんの考えです。そしてその地域を『ケーぺ−ガートン』の中のカルマパの旅程の伝記記事や『ドメ−チョエジュン』などから黄河源流地域の'Go log ma khrom に本部を置くものと推定するのです。話しは違いますが、石川さんの風貌や言葉の発し方は田中公明さんの若い頃によく似ています。日本西蔵学会のよき伝統と解しましょう

■ポタラ宮に見るサンゲギャムツォの王権観/石濱裕美子(早稲田大学)

 石濱先生はやっぱり迫力あります。ポタラ宮は大きく言って白宮と赤宮があってその建造時期にずれがあることはよく知られていますが、今回の発表はその間の事情を整理して説明したものでした。先ずダライラマ5世によって白宮が整備されたのは観音菩薩とソンツェン王の加護によりチベットを統一するためであり、その地に横たわると伝えられる羅刹女を鎮める為でもあったということです。そして赤宮建立の方は摂政のサンギェギャムツォが自らを正当化するための手段のひとつでもあった、と『ザムリンギェンチク』を引きながら説明されました。尊像の移設や薬師堂の位置などの点を田中公明さんが質問したのですが、石濱さんは一言「だってそう書いてあるもん」で却下でした。

■ ビヤン・トゥンガ石窟の壁画とその成立年代/田中公明(東方研究会研究員)

 ビヤン・トゥンガ石窟の中には数々の貴重な壁画資料が残されていますが、様式や図像学的にみてその壁画の成立年代がどのあたりになるのか、というのが今回の発表の目的です。まず金剛界曼荼羅、降三世曼荼羅の大日如来の周囲に描かれている四波羅蜜菩薩が尊形ではなく三昧耶形で表現されているのですがこれはつまりアーナンダガルバ流で11世紀のリンチェンサンポ以降であることを示しているそうです。その一方でチベットに伝わった文献にはあらわれない表現、例えば六臂観音を本尊とする赤い蓮弁の曼荼羅などから、カシミール伝来の図像をお手本とする形で描かれたことが推定され、それを考えると13世紀からそれほど隔たらない時期に設定できるといいます。発表原稿を読むのを予行演習されたそうで、発表を終えたのが設定制限時間とぴったり1秒も違ってなかったのでびっくり。やっぱり田中公明さんはスーパーマンだ。

■ パプン寺院訪問レポート/貞兼綾子

 発表が始まるまでわたしはパプン寺という名に憶えがなかったのですが、発表を聞いてデルゲの近くのぺ−プン寺だと分かりました。そうか現地ではパプンと発音するのか。昔、大学院生の頃ハラソーヴィツから出版されたヨセフコルマシュ教授のPrague Collection の本を分かりもしないのに買って本棚に並べて喜んでいたのを思い出しました。その本はパプン寺のパルカンで持っていた版木のリストだったのです。文革で元の版木の多くが散逸したみたいです。シツ活仏の本拠地の一つでもあったので絵画の版木についてもっと知りたかったのですが聞きそびれました。貞兼さんは控えめに控えめにお話しになるのですが、若い学生さんたちはほんとうに貞兼さんの凄さを分かっているのかな?


懇親会は大変楽しい時間となりました。フランスの今枝先生も参加してご挨拶されてました。今枝先生の言う通り、日本のチベット学のレヴェルは相当のものなのですが、それを世界に知らせるチャンネルが不足しています。