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ウルガレポート

■7月21日から23日までの3日間に亘ってモンゴル国の首都ウランバートル(かつてはウルガと呼ばれていた)にあるガンダン(チベット語の「ガンデン」が訛ったもの)僧院(正式にはガンデンテクチェンリン「大乗院」というチベット語の名前が付いています)とその付属の「ザナバザル仏教大学」(右の写真)に小野田は派遣され、わが日本国の佛教大学との学術交流を進める為の下準備をしてきました。

ガンダン僧院外観
ハンボラマ

■ガンダン僧院はチベット仏教のゲルク派教学を伝える僧院で、モンゴル仏教の総本山的存在です。ザナバザル仏教大学の正式名称は英語による表記によれば、 UNDUR GEGEEN ZANABAZAR BUDDHIST UNIVERSITY OF MONGOLIA AT GANDANG TEKCHENLING MONASTERY と言い、モンゴル国の大学設置基準をみたして認められた正式な私立大学です。

学長は設立母体であるモンゴル最大の仏教僧院であるガンダン僧院の僧院長をつとめるハンボラマ・チョイジャムツ師(写真上)が兼任しています。「ハンボラマ」とはチベット語の「ケンボラマ」つまり管長さんという意味です。(何でもかんでもチベット語に戻すな!<つっこみの声>)ガンダン寺の前身は「イフフレー」則ち「大きな移動寺院」としてのゲル(テント)集団がト−ラ河の北岸に留まり、そのツァンニド(チベット語のツェンニー=哲学)学堂が現在のガンダン寺付近におかれたのが起源と考えられています。つまり最初期からここは学問寺なのです。 

VIPルームでの小野田

■大学事務長は、ソニンバヤル Soninbayar 師(向かって左)、副事務長は、ピェンバジャプ Byambajab 師(右)が現在つとめています。大学は1970年に設立され、学生数は約100名、教員数は現在10名という比較的小規模な単科大学でした。4年制で、薬学、暦学、歴史学、梵語学、仏教哲学等のコースがあります。

ちなみに、大学名の頭に付く「ザナバザル」とは、ウンドゥルゲゲンとも呼ばれるモンゴル仏教の祖師のひとりとして有名な活佛「初代ジェプツンダンパフトクト」のことで、まあ佛教大学で言ったら、法然上人の佛教大学とでもいう感じです。初代ジェプツンダンパは「仏教史」で有名なターラナータの転生者だとダライラマ5世によって認められた人物です。

■今回、小野田がした交流の下準備では、学術交流の活動をどのような項目の下に実施すべきかという点で、学長であるハンボラマ・チョイジャムツ師および副事務長のピェンバジャプ師と協議(共通言語であるチベット語を介して交渉)をしてきました。

発表

■モンゴルの草原はどこまでも広い。360°ぐるっと見回して建物が見当たらない所が国土のほとんどなのです。昔ながらに峠にはオボ(石を積み上げて旅の無事を祈るモニュメント)があり、少年たちは自転車のように馬を見事に乗りこなすのです。感心してしまいます。都市部でのスラム化も夜間の治安の悪さも、前もって聞いていたほど深刻ではなく、夜のビアホールには沢山の外国人観光客が来て、話に花を咲かせてました。「ハーン・ブロイ」というドイツとの合弁会社のビールが美味しかった。そうです「チンギスハーン」の「ハーン」です。けど、日本との時差がないというのは奇妙です。晩の10時に、まだ外は明るいのですから。

オボを廻る少年
オボを廻る少年

■歴代のジェプツンダンパ活佛=ボクドゲゲンの夏・冬の宮殿や8世の実弟ロプサン・ハイドゥプの寺=チョイジン・ラマ寺院などは博物館として保存されていて、チャム(仮面舞踏)のお面などの道具や初代ジェプツンダンパ・ザナバザル自身の造った仏像や仏画を見る事が出来ます。ザナバザルはチベットツァン地方のタシルンポ僧院に留学していたからか、当地でその時代に盛んになりつつあった新メンリ画派の様式によく似た絵画様式(イフ・フレー様式と後に呼ばれる様式)の絵画を描いていました。

こんな景色にはラマ僧がよく似合う
こんな景色にはラマ僧がよく似合う

■可成りきついスケジュールで訪問したのですが、それでも博物館廻りは合間を縫ってしてきました。モンゴル近代絵画の父とされるシャラブ氏(1910年代に活躍)の作品を小野田はじっくりと見てきました。シャラブ氏は第8代ボクドゲゲン付きの仏画絵師でしたが、独特の風景画の世界を作り上げ、庶民の生活の様子を描いたモンゴル独自の俯瞰図のスタイルを作り上げました。伝統と独創とが微妙に均衡を保つその構図の見事さに小野田は時間もわすれて見入ってしまいました。

シャラブ氏の絵に見とれる小野田
シャラブ氏の絵に見とれる小野田
へっぴり腰でヤクに乗る
へっぴり腰でヤクに乗る