ここから本文です

洛中楽話 2014年度

いつか、飛行機マニアの私にしか書けない歴史書を書こうと思っています。

佛教大学歴史学部 歴史学科教授

青山 忠正 先生(日本近代史)

2014年春期(4,5,6月)掲載

「この機体番号なら鹿屋海軍航空隊の所属で、ラバウル方面で飛んでいるところですね」。写真を見ただけで、そんな言葉がすらすらと出てくる青山先生は飛行機マニア。中でも往年のプロペラ機が大好きという。

飛行機に関心を持ちはじめたのは小学生だった1960年前後のこと。そのころにはすでに、第二次世界大戦で使われた軍用機を純粋に航空機として捉え、その構造や性能を解説する本や雑誌があったという。「といっても当時は写真を見て喜んでいただけです。のちに実機を見た瞬間に美しいと思ったのはアメリカのP51マスタング。機体にムダがまったく無く、機能を究めると美に至るという事実を今でも感じさせてくれる一機です」。

もっとも、一番好きなのは「ダサい」日本の一式戦闘機。「隼」の愛称で知られた飛行機だ。「こいつは翼面荷重が小さすぎるんです。翼面荷重とは重量を主翼の面積で割った数値ですが、それが小さいということは翼が機体に比べて大きい、つまり全体のバランスが悪い。航空機としての完成度は同時期につくられたゼロ戦のほうが上であり、また一式からはマスタングのような洗練された美しさも感じられませんが、なぜかそのダサさが気に入っています」。

中学生のころからビジュアルだけでなくデータにも惹かれ、自作の機体にアルコール燃料で回るエンジンを載せたUコン飛行機を飛ばし、大学受験で航空工学科を受けたこともあるという先生の飛行機を見る眼は、他とはひと味もふた味もちがう。「あまりに凝りすぎていたせいか、中学・高校時代の友人で私の話しについてこられる者は誰もいませんでしたね。だから飛行機が出てくる映画なども一人で観に行っていました。今も映画を観ていると、設定年代に合わない型式の飛行機が登場するといった考証ミスが気になりますね」。

大学教授としての専門は明治維新期を中心とした日本近代史。飛行機とはまったく異なる分野だが、アプローチのスタイルはどちらも同じという。研究も、飛行機へのこだわりも、文献を読み込むだけでなく外の世界へ飛び出し、何かを見たり感じたりすることを大切にしている。「海外に行くと、時間があれば航空博物館に足を運んでいます。イギリスのダックスフォード飛行場にある博物館は1日では回り切れないほどの規模で、スピットファイアなど大戦中のプロペラ機から超音速旅客機のコンコルドまでが羽を休めています。現在も生きていて空を飛ぶ物も多く、展示場である格納庫にいるとオイルの臭いが感じられるんですよ」。

まだまだ飛行機への興趣が尽きないが、死ぬまでにやっておきたい仕事があるという。それはソロモン航空戦をテーマとした歴史書を書くこと。1942年から44年までの長きに渡って日本軍と連合軍の間で行われた、南太平洋のソロモン諸島の争奪をめぐる戦闘についてはこれまでに回想録などが出版されているが、飛行機を軸に書かれたものは無いという。「その戦史をひもとくと、戦略にいくつもの問題点が見つかります。たとえば、2000キロという当時としては驚異的な航続距離を誇ったゼロ戦が重宝され、戦闘に大挙投入されますが、実際にはたいへん効率の悪い戦いになりました」。

研究室に飾っている模型。しかし、コレクションには興味がないという。「買うのはもっぱら本です。英語の書物でも、たいてい著者より詳しいので水を飲むように読みこなせます(笑い)」

なぜか。「長距離飛行を繰り返すと搭乗員の身体がもたなかったからです。そもそも日本軍の戦略は、日露戦争の日本海海戦のように一回の海戦で勝負をつけるというものでした。そして、ゼロ戦はその際の掩護用として開発された艦上戦闘機です。そのため長く飛べる性能が要求されましたが、あくまでも一発勝負用であることから、長距離飛行を繰り返すことは想定されていなかったのです。また、ゼロ戦の生産機数は少量が考えられていたのですが、戦闘が長引く中で当初の計画を遥かに超える数のゼロ戦がつくられ、文字通り消耗されていきました。こういった史実を、航続距離をどのようにして伸ばすことができたのかといった技術的な話しを絡めながら書きたいと思っています。これは私にしか書けない歴史書だという自信があります。もっとも、多くの人に面白がって読んでもらえるかどうかはまた別の話しですが」。

Profile

Profile

青山 忠正(あおやま・ただまさ)

1950年東京都生まれ。東北大学大学院文学研究科博士課程修了。文学博士。大阪商業大学助教授を経て1999年より現職。著書に『明治維新と国家形成』や『高杉晋作と奇兵隊』(ともに吉川弘文館)など。